【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(10)
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
決断の時~熱にうかされて
そして僕にも大きな決断の時がきていた。確か投票日の2、3日前だったと思うが、誘われて遅い夕食に行った。当選は確実な情勢(これまで経験したことのないほどの反応と熱気)だったので、何か用件があるのかと思ったが、広太郎さんからは何も言わない。なので、僕から切り出して、「一緒にやりますよ」と言った。誰とも何の相談もしていなかった。
「そうか、結果が出たら考えよう」ということでその場は終わった。その後妻に相談した。わが家には小学校5年生の長男、3年生の長女、3歳の次女がいた。今考えれば途方もなく身勝手な話だが、熱に浮かされるとはこういうことだろう。日頃冷静でしっかり者の妻、いくら遊び惚けても怒ったことのない妻に対する甘えもあったと思う。最終的な妻の返事は、両親の了解(長年保育園の送迎など多大な育児の負担があって初めて子育てしながらの共働きができていた)を取り付けることが前提で「賛成はできないが、協力はします」というものだった。
後に、話が決まって津田隆士議員(後に福岡市議会第64代議長)のところに退職の挨拶に行ったら、美絵夫人から「甘やかされて育ったんやねぇ」といわれた。そうなんだなぁ、とその時しみじみ思った。広太郎さんは、「無理したらいかん、やめておこう」と言ってきたが、こちらは最早そうは行かない。妻の了解はもらっていると迫った。
そしてわが家の両親はもちろん猛反対である。最近になって母に聞いたのだが、父は僕を叩いたらしい(僕は覚えていないのだが)。最大の心配は将来に何の保証もないことだったと思う。県庁勤めで安月給だから、浪人してでも国立の九州大学にとの親の願いを無視して僕は東京の私立大学に行き、仕送りの負担をかけた。母は働きに出て、家も建て直して孫をようやく育て、これからは少しゆっくり老後をという時期だった。親の立場からすれば、堪ったものじゃない。広太郎さんには両親にも会ってもらった。「やっぱり無理だ、やめておこう」と広太郎さん、「いや大丈夫です」と押し返した。
最後に妻の両親に話しに言った。「報告なのか、相談なのか」と言われて、報告ですと返した。「熱病にでも罹っているのじゃないか?」反す言葉もなかった。義父は世界企業のタイヤメーカーの生産/製造技術のトップで、職場では鬼と言われていたほどで、このときの眼光も鋭かった。妻の度量は親譲りなのだと痛感した。僕が野垂れ死にしても、家族が路頭に迷うことはないだろうと身勝手に解釈したが、僕は親にも恵まれていた。
一方で国会での動きは激しさを増してきており、僕を迎えることで話が進み始めた。
折から、政策担当秘書制度も創設されており、僕も政策秘書の枠での採用をお願いした。次に役所のなかの対応だけど、僕にとって入庁以来兄のような存在だった陶山さんが、人事課長になっていた。年度途中の退職は、不用意な人事異動が必要になるので、春の定期異動を待てと。併せて、その当時妻は研修所で初の女性係長として勤務していたが、研修所がなんせ屋形原なので、東区の住まいからあまりにも遠く、その頃でも6時過ぎに出勤していたが、僕が東京に行くと無理なので異動させて欲しいとお願いした。陶山さんからは、「お前のことは自分のことだから勝手だが、奥さんの将来まで巻き込んで、勝手が過ぎる」と叱られた。
東京の方でも僕を政策担当秘書として受け入れるための手続きが必要で、平成6年(1994)4月に向けて準備を進めることとなった。この数カ月の空白の間に細川政権は瓦解してしまい、後々地団駄を踏むことになるのだが。退職の件はおおっぴらにはなっていなかったが、港湾局長時代にお世話になっていた末藤さんが助役になっておられ、「飯でも食おう」と呼ばれた。「もう決めてしまったらしいが、日本新党も今は勢いがあるかもしれぬが、この先どうなるかわからない、それでも辞めていくのか。42歳という年齢も決して若くないが」と、尊敬していた助役からお声がけいただきありがたかったが、もう決めたことだった。僕はその時42歳で大厄だった。なので、節分までは職場にも言わずおいた。
一方で、九州大学法学部教授の今里滋さんを訪ねた。専門が行政学で、福岡市もいろいろとお世話になっていたが、福高の2年先輩で、弟(尚之君)が剣道部で一緒だった縁もあって親しくしていただいていた。「5年をメドに政治の世界を勉強してきたい。将来は大学教員を目指したいが、どうだろうか?」とお尋ねした。今里さんからは、「自治体職員で19年、国会の現場での経験も併せ、大学院で修士をとれば何とかなるかも」との示唆をいただき、胸にしまった。
そして、退職の日4月7日がきた。退職辞令交付式は友池助役室で、辞令の読み上げ/進行は人事課長の陶山さんだった。どういう場になるのかわからずに挨拶も考えていたが、役には立たなかった。福岡市役所に入ったのは陶山さんの存在が大きかったので、その後を追いかけるような道を歩いてきて、最後の介錯が陶山さんというのも何かの縁だし思い残すことはないなと思った。都市計画の部門の先達で福高の先輩であり、尊敬し憬れていた志岐助役に挨拶に行ったが、ちょうど係長級の辞令が廻っている時期なので、異動の挨拶と思われていたようだ。退職すると聞いて、とても驚かれたことを覚えている。いつも泰然とした方だったので、不思議な快感もあった。本庁舎の14階から挨拶回りを始めて12階にきたあたりで、福岡の山崎事務所から電話が入った。「東京で大きな動きがあるので、早急に上京してほしい」とのことだった。挨拶回りを中断して、自宅に戻り、取り敢えず数日分の着替えを用意して飛行機に飛び乗った。
東京での大きな動きとは、翌4月8日の細川首相の辞意表明だった。そのころの国会の状況からして、局面は厳しいと思っていたが、こんなタイミングで投げ出すとは思ってもみなかった。永田町は大激震で、それから2週間位東京に缶詰となった。細川内閣総辞職、羽田少数与党内閣発足、羽田閣総辞職、自・社・さきがけ政権の発足=野党への転落、まさに僕は疫病神のようだった。子どもたちが大きくなったときに、父親が何を考えこのような道を選んだかを手紙にしたためておこうと思っていたが、思わぬ展開で時機を失してしまったママになっている。そのツケを今払わされているような気もする。
改めて僕や広太郎さんの名誉のためにも書き残しておきたいが、「市役所まで辞めて、あんたは、よう広太郎さんに付いていったね」といろいろな人に言われた。だが、市役所を辞めてまで国会に行ったのは、誘われたり頼まれたりしたためではない。まったくの自分の意思であり、日本新党と地方分権改革/政治改革に馳せ参じたいからだった。しかも、信頼できる政治家である広太郎さんが全国最多得票で当選した。こんなチャンスはない、今立たずしていつ立つのかというものだった。熱に浮かされていたことは間違いなのだが。広太郎さんが仮に自民党の三議席目で代議士となっていれば、僕にこの選択はなかった。
〈退職挨拶状/抜粋〉日付は平成6年7月とある……自・社・さ政権の発足が6月29日。この頃ようやく落ち着いたのか?
……4月7日をもちまして福岡市役所を退職いたしました……
昭和50年採用以来19年間 仕事や上司 同僚にも恵まれ 自分なりに充実した市役所生活を送ることができましたがこれも偏に皆様方のご支援の賜と深く感謝いたします。
4月8日より 衆議院議員 山崎広太郎氏のもとで政策担当秘書として第二の人生をスタートいたしました。歴史的な転換期のなかで 私なりの人生観と使命感に基づいた選択ですが「福岡市政への夢」や家族など払った代償も大きいだけに志に負けぬよう精一杯がんばる覚悟です……ご挨拶が大変遅くなりましたことを深くお詫び申し上げます。(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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