【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(11)
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元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
第3フェーズ 1994.4~1996.10
衆議院議員政策担当秘書就任秘書生活の日々
秘書に就任するにあたって、広太郎さんからは「フィフティ・フィフティで行こう」と言われていた。いわゆる「先生と書生」という関係ではないということだったのだろう。
勤め場所は衆議院第一議員会館534号室。今思えば本当に手狭な議員会館だったが、僕は奥の部屋で広太郎さんと机を並べていた。議員会館のどこにもそのようなポジションが与えられた秘書はいなかったと思う。また後々秘書給与詐取/流用事件として話題になったが、政策担当秘書はその位置づけから公設第一秘書よりも給与は高かった(国家公務員一般職課長補佐相当)。しかし国家公務員上級試験と同等の難しさと言われた政策担当秘書試験に合格しても、現場では即戦力にならない(というか、議員の方が政策担当秘書として使いきれない)ために、かなりの額を議員側に寄附させられ、他の秘書とのバランスをとるという例が多かったが、もちろん「即戦力」の僕は満額をいただいていた。
第一議員会館(534号室)のスタッフは第一秘書に白川秀嗣さん。元福岡市議会議員(社会党/1期)で、僕も議会事務局に在籍していたのでよく知っていたが、まさか同じ部屋で仕事をすることになるとは。今は越谷市議会で副議長になるなど、改革派の議員として活躍しておられる。もう1人は、守谷聡子さん。広太郎さんが仲人を務め、ご主人(現・福岡県議会議員/元副議長守谷正人氏)が当時の勤め先で東京転勤となり、手が空いたので?来てくれていた。彼女はたまたま福高の14期後輩だったが、ムッチャ仕事が捌けて社交的でもあったので、遅れてきた僕が国会内で人脈がないなか、また、調べ物などで部屋に籠もりがちな僕の分をカバーして、事務所の外交官としてさまざまな対外関係づくりや情報収集で働いてくれて大いに助けられた。
住まいは高輪の議員宿舎で広太郎さんと同居した。基本手のかからない人だけど、フィフティ・フィフティとはいえ代議士だし、議長秘書として仕えていた相手だし、感じとしては大学時代の寮生活での4年と1年?4年と2年みたいな感じだったかなぁ。毎日忙しかったし、合宿やっているようなものだった。部屋は3LDKで玄関横の部屋が僕、一番奥の部屋が広太郎さん、真ん中の部屋を衣装部屋にしていた。高輪は国会から一番遠い宿舎だったが、当時は日本新党の本部が高輪にあったし、周辺には高級マンションが林立し、お隣は新高輪プリンスホテルで住環境には恵まれていた。国会まで車でも地下鉄(都営浅草線‐日比谷線)でもおよそ30分程度だった。
当時僕は42歳、家事など一切やったことがなかったが、否が応でも、炊事、洗濯、掃除をやらないと生活できなかった。洗濯機は今のような全自動ではなかったが、まあ大丈夫。広太郎さんの物はネットに入れて、洗った後は自分で干して取り込んでもらった。炊事は「さ・し・す・せ・そ」から覚えた。困ったら、行きつけだった春吉の小料理「志野」のかあさんに電話して教えてもらった。不規則な生活だったから、朝食はみそ汁に焼き魚/みりん干し、納豆、あと野菜系を一品加えて、しっかり食べた。みそ汁は前日から鍋にいりこを入れて、ちゃんと出汁を取っていた。近くに手づくりの「たなか豆腐屋」があって、豆腐やたくわんが美味しかった。みそ汁をつくるのは僕だけど、広太郎さんが豆腐を買いに行ったりした。たまに早い時間に揃って帰れるときに、五反田商店街まで足を伸ばして、魚屋さんで美味しそうな魚を見繕って煮魚をつくったりもした。数少ない楽しい思い出だけど。そんなこんなの生活がおよそ2年半続いた。自分でもよく頑張ったと思う。ごく一部でだけど、僕は秘書のカガミといわれるようになった。車の運転手をやり、炊事、洗濯、掃除をやり、普通の秘書の仕事をやり、政策秘書の仕事までしていると。
議員宿舎には食堂もあったが、テレビに出るような大物議員が1人寂しく定食を食べている姿や近くのスーパーで僕でも名前が分かる長老議員が惣菜を見繕っている姿はなんとも切なかった。思わず「晩ご飯、僕がつくってあげましょうか」と言いたくなるほどだった。そして、金帰火来。広太郎さんも言っていたが、「よくこんな生活を何十年もできるもんだ」と。
ファミリーヒストリー(2)
僕も当初の家族との約束で金帰月来をした。金曜日の19時の飛行機に乗ると、家に22時前に帰り着く。玄関をピンポンすると、一番下の5歳の娘が廊下を「バタバタ」と走ってくる音がして、ドアを開けると「パパァ」と叫んで、全身の力を込めて抱きついてきた。一週間の疲れはすべて吹き飛んだ。次女の美紀はそれで僕への一生分の親孝行をしてくれたと思う。今は篠栗町役場に勤務し、吉村家3代に渡る公務員の血筋を受け継いでいる(父母:福岡県庁、僕と妻:福岡市役所)。
土曜日は地元の事務所に顔を出すが、日曜日は子どもたちの水泳教室や買い物、ゲームセンター、とにかく家族サービスに徹した。週末だけの親子関係で日々の生活を取り戻すことはとてもできなかったが、せめてもの罪滅ぼしだった。
(つづく)
<著者プロフィール>
吉村慎一(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
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