【異色の芸術家・中島氏(13)】アトリエ・メモランダム
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絵画、1人演劇と1つの分野にとどまらず活動し、ニューヨークに加えドバイへも活躍の場を広げようとしている異色の芸術家・中島淳一氏。この1年ほどは高さ4mという大型の作品を含む新作を画き続けており、それらを展示する個展「夜明・ラプソディシリーズ」がいよいよ来週13日から開催される(18日まで)。その中島氏から送られてきた「アトリエ・メモランダム」を以下に紹介したい。
出会いが運命を変える。アルコール依存症で無名の画家だったジャクソン・ポロックが世に出たのはペギー・グッゲンハイムとの出会いがあったからである。彼女は大富豪のコレクターであり、画廊のオーナーでもあった。ポロックは彼女の支援を受け、順風満帆の制作活動に入る。
彼はシュルレアリスムとユングの影響を受けて、無意識下における新しい芸術を探求し続けていたがもっとも衝撃を受けたのは、ピカソのゲルニカであった。何ということか、すべてピカソがやってしまっているではないか。彼はピカソに対して高い壁を感じた。どうすればピカソを超えることができるのか。独自の技法を編み出すべく日夜、悩み葛藤する。そしてついにポーリングやドリッピングと呼ばれるアクションペインティングの技法を確立させたのである。マスコミからは絵具をぶちまけただけではないかと批判されたが、美術評論家からは高い評価を受ける。
ポロックはイーゼルにキャンバスを立てかけて描くのではなく、張っていないキャンバスをかたい壁や床の上に固定して描くようになる。かたい表面の抵抗が必要だと感じていたのだ。床の絵のまわりを歩き、四方から制作。イーゼル、パレット、絵筆といった普通の画材からは遠ざかり、棒、こて、ペインティングナイフを使い、流動的な絵具をドリップすることの方を好んだ。自分がなにをしているか意識せず、自分を変えることやイメージを破壊することを恐れない。なぜなら絵はそれ自体が独自の生命をもっているからである。画家はそれを全うさせてやろうとするだけの存在である。そこに絵の純粋なハーモニーが生まれるとポロックは考えた。
画家として時代の寵児となったポロックではあったが、1956年、飲酒したまま車に乗り、猛スピードで走行して激突。同乗していた若い愛人と友人とともに44歳という若さで世を去る。その生涯は2000年にエド・ハリス監督・主演・制作で映画化された。
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