日本に今必要なのは、技術よりも科学的思考だ

アジア・インスティチュート理事長
エマニュエル・パストリッチ 氏

 米国・韓国の大学で教員を歴任し、現在はアジア・インスティチュート理事長として日米韓を拠点に活動するエマニュエル・パストリッチ博士(ハーバード大学)より、寄稿をいただいたので、以下に紹介する。

エマニュエル・パストリッチ博士
エマニュエル・パストリッチ博士

 日本人はしばしば、さまざまな領域において自国が成し遂げた最新の技術革新に誇りを抱いている。一方で、海外が先行する分野に対して羨望(せんぼう)の念を抱くこともある。私はこの10年間、日本の研究機関と連携しながら日本社会を観察してきたが、その経験を通じて強く感じたのは、日本において本当に欠けているのは技術ではなく、科学的な思考力だということだ。

 日本では最先端の自動車やロボットが、しばしば奇跡的な成果として受け止められている。そのような感覚は、技術への敬意を生む一方で、既存の考え方に安住し、批判的・分析的な視点を失わせる要因ともなる。スマートフォンが政府や経済にどのような影響をおよぼし、どのように機能しているのか。こうした原理を理解しようとする姿勢こそが、科学的思考の出発点である。

 日本のメディアが提供するニュースに対して、多くの視聴者は興味をもてないものは無視し、一方で、複雑な問題でも「一文で理解できる」と錯覚してしまう傾向がある。短い動画を撮影・編集する技術は最先端かもしれないが、そこで消費される情報は思考を促すものとは限らない。

 広帯域通信の普及により、日本ではスマートフォンで即時にあらゆるコンテンツにアクセスできるようになった。しかし人間の脳には、思考を担う前頭前皮質と、感情的な刺激に反応する扁桃体のような部位がある。エンジニアたちは高度な技術開発のために前頭前皮質を使って深い思考を重ねているが、実際に情報が届く先は、感情に訴える扁桃体のような領域であることが多い。

 だからこそ、国民は教育、メディア、政策決定のプロセスにおいて、科学的方法に基づいた厳格な規律を求める必要がある。それは社会のなかで最も弱い立場にいる人々の利益を守るためにも不可欠な態度である。

 科学的方法論とは、まず社会における問題を注意深く観察し、仮説を立てることから始まる。ある行動を取った場合に社会がどのように反応するか、そのメカニズムを説明するための仮説だ。そして、その仮説が一貫性をもつかを検証することで、物理的な世界や社会、経済の仕組みに対する理解を深めることができる。

 しかし現実には、メディアがあらかじめ用意した解釈を提示し、視聴者に感情的な反応を引き起こすよう設計された番組が多く、複雑な事案に対して論理的にアプローチする姿勢は乏しい。

 もし、技術の利用方法がガバナンスや経済を理解するための科学的なアプローチからそれてしまうならば、私たちはそのコミュニケーション技術の使い方に一定の制限を設けるべきではないか。国民が国家の将来について真剣に議論し、複雑な問題の構造を少しでも理解しようとするためである。技術開発をさらに進める前に、その技術が社会に与える影響を評価するために、科学的な思考を活用すべきである。

 しかし、こうした主張に対しては、「若者にとって退屈な話題や難解な問題に興味をもたせるのは不可能だ」と反論する人もいるだろう。実際、日本人には複雑なテキストを読み解き、深い議論を行うことに耐える忍耐力が不足している、という見方もある。

 とはいえ、「習慣は変えられない」とか、「もはや合理的な議論が成り立たない時代だ」と断言するのは、非倫理的な態度である。

 仮に今の日本社会において合理的な思考の欠如が問題だと認識しているのであれば、私たちはその問題に正面から取り組まなければならない。合理的な思考を奨励することは、新型スマートフォンの発売よりもはるかに重要である。

 私にとって衝撃的だったのは、地下鉄で新聞が売られなくなり、ほとんどの乗客が政策や経済に関する記事を読むことなく、ゲームに没頭しているという現状だ。

 このような時代の流れには、積極的に介入し、立て直す必要がある。たとえば、複雑なテキストを読み、分析することを義務付ける教育法の制定も一案だろう。そうすることで、各人の「注意持続時間」を延ばし、現代の社会問題に対して深い議論を生み出すことができる。とくに、若者のスマートフォン使用時間に制限を設けることも、重要な方策になり得る。科学的方法を社会的教養の中核に据えることで、政策決定の質は大きく向上する。

 現在の新聞には、政治家の写真や世論調査の結果ばかりが掲載されており、国会で審議されている法案やそれらの法案をどのように施行すべきかについての詳しい説明はほとんど見られない。確かに、その分野に興味がないという読者もいるだろう。

 だが、より良い政治を望むのであれば、私たちは「どうすれば大衆の注意が持続し、政策の細部にまで関心をもってもらえるか」を真剣に考えるべきである。

 社会に無関心で、現状について多様な解釈を議論する姿勢がなく、問題の「イメージ」ばかりを追い、「本質」に焦点を当てた解決策を導き出せなければ、私たちは結局、見かけ倒しの「英雄」に頼り、実際には無責任な指導者に未来を委ねてしまうことになる。そのとき、技術の未来はおそらく暗いものとなるだろう。


<プロフィール>
エマニュエル・パストリッチ。1964年生まれ。アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル出身。イェール大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学比較文化専攻)、ハーバード大学博士。イリノイ大学、ジョージワシントン大学、韓国・慶熙大学などで勤務。韓国で2007年にアジア・インスティチュートを創立(現・理事長)。20年の米大統領に無所属での立候補を宣言したほか、24年の選挙でも緑の党から立候補を試みた。23年に活動の拠点を東京に移し、アメリカ政治体制の変革や日米同盟の改革を訴えている。英語、日本語、韓国語、中国語での著書多数。近著に『沈没してゆくアメリカ号を彼岸から見て』(論創社)。

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