経営哲学と顧客・社員重視戦略で黄金時代を迎える

大高建設(株)

 3月25日、ホテルニューオータニ福岡にて、大高建設(株)の50周年記念パーティーが盛大に開催されたことは既報の通りである。この祝賀会は顧客を招待した第一弾であり、取引先・協力業者を主体とした第二弾は同じホテルで5月に予定されている。いずれも完全招待制で、2回合計で総勢約600名が参加する。顧客や取引先への丁寧な恩返しの表明は、創業者である大木孝朋会長の経営哲学に基づいている。

顧客との生涯にわたる信頼関係

大木孝朋会長
大木孝朋会長

    3月25日のパーティーでは、参加者に衝撃を与える貴重な体験をした。まさに「お客様第一主義」を体現した宴会となった。まず、最重要顧客の席は最前列に配置され、主催者側の席は中央にまとめられた。参加者からは「これほど顧客が最前列になる宴会は初めてだ」と驚きの声が上がった。

 さらに驚くべきことに、正晃(株)の印会長が登壇し、「当社の社屋建設を始め、すべて大高建設に発注してきた」と感謝の意を述べられた。福岡有数の物流会社の代表も、「先代から倉庫建設はすべて大高建設に発注するよう命じられてきた」と内情を明かした。また、福岡市農業協同組合関係者や地主の方々も多数列席していた。これは、大高建設の飛躍の原点である東区多の津流通センター建設に関わった関係者(地主を含む)であり、1975年3月の設立以来、50年にわたる付き合いを象徴する顔ぶれであった。

独自の技術を徹底的に磨く

 大高建設の起源は岡崎工業にまで遡る。同社の得意分野は鉄骨工事であり、倉庫や工場といった非住宅建設に強みをもっていた。そこで鍛えられた大木会長は、鉄骨技術に特化した請負業務で事業をスタートさせた。筆者がサラリーマン時代に「福岡ゼネコンリポート」を発刊した際、「若手3羽ガラス」として照栄建設、前宮建設、大高建設の3社を取り上げた(72~76年設立)。照栄建設は福岡周辺の地主向けアパート建設に特化し、前宮建設はパチンコ店やラブホテルなどの特殊物件で存在感を高めた。一方、大高建設は「鉄骨工事=倉庫・工場」に注力し、それぞれが個性的な躍進を遂げた。

最初の挫折:2005年前後

 「若手3羽ガラス」の1つ、前宮建設は平成初期のバブルに酔い、その後、失速した。大高建設は2000年時点で完工高30億円に迫る基盤を築いていたが、大木会長は「事業承継=身内への継承」という戦略で進めるべきか悩んだ。「次のステップに進むにはどうすべきか」と自問自答し、「自社社員の社長登用」という大胆な人事の決断を下した。しかし、この試みは功を奏さず、完工高は10億円台に減少し、勢いを失った。

 ここから大木会長は深刻な悩みを抱え、「第二の躍進戦略」の構築に奔走した。「他社との合併か、新日本製鉄の傘下に入るか」と模索したが、最終的に「経営の質を高めるしかない」と結論づけた。

新日本製鉄への人材派遣依頼

 大木会長の度重なる人材派遣要請に対し、新日本製鉄は真摯に応えてくれた。複数回の人材派遣を経て、徳永利美氏が副社長に就任すると、組織の結束力とレベルアップが顕著に現れた。また、宮崎賢治氏(現・常務取締役)ら多彩な人材との縁も生まれた。大木会長は「組織の活力と質を高めるには外部の血を導入することが不可欠だった。リーマン・ショックを機に、当社に再び攻撃力が根付き始めた」と振り返る。2010年初頭は、大高建設にとって「第二の進撃開始」の年と位置付けられる。

チャンス到来の時代

 物流倉庫建設の時代が到来した。熊本県・阿蘇の入口近辺では世界トップクラスの半導体工場が稼働を開始し、関連企業の裾野が広がった。これにより、熊本を中心に工場建設ラッシュが起こり、その影響は福岡県全体におよんだ。服部福岡県知事は講演で「県所有の工場団地がすべて売り切れた」とうれしい悲鳴を上げた。さらに、有事の防衛関連設備投資も急増し、兵器工場を始めとする建築ラッシュが続いている。読者はすぐに気づくだろう。「これらは大高建設の得意分野ばかりではないか」と。

社員への還元を優先

 24年3月期は空前の好決算を記録した。その利益の最優先分配として、社員への決算賞与を計上した(詳細は非公表)。大木会長は「苦労が報われた」と安堵したことだろう。

受注規模の拡大

 同社は現在、この先2年間は新規工事を受注できないほど目いっぱいに仕事を抱えている。1件あたりの受注規模が大型化し、50億円を超える案件が常態化している。大型工事の発注元は主に東京であり、積み上げてきた実績と信用が評価されている証拠だ。福岡の建設業界において、大木孝明会長の経営手腕はトップクラスと高く評価されている。今後は大木孝一郎社長を筆頭に組織の若返りが求められる。

【児玉直】

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