かつて野党第一党として大きな存在感を示し、前身の日本社会党が片山哲、村山富市と2人の首相も輩出した社民党。その低迷ぶりが話題となっている。
先月29日、社民党は党大会を東京都内で開き、福島瑞穂党首の再任を了承した。幹事長にはラサール石井参議院議員が就任した。
しかし、党首選で福島氏に敗れた大椿裕子元参議院議員は、これまで務めてきた副党首から外れた。党事務局から発言をさせてもらえずに退席したことや党大会に来賓として出席した労働団体「全労協」の幹部から苦言が呈されるなど、党内の複雑な事情が外部に露見し、同党のイメージ低下に拍車がかかる事態となっている。
SNS世論をはじめ福島氏の一連の対応への批判が強いが、福岡の社民党関係者の受け止め方は異なるものだった。
「たしかに大椿さんを当選させられなかったのは、私たちの責任ですが、攻撃する相手ではないはずです」と語る。
また次のような声も聞かれた。「立憲に行った人たちにしても、福島さんを批判するけど、1人でも党勢拡大をしたのかといいたくなります。いろいろ言うけど、離党の理由は社民党に未来がないと思ったからでしょう」(福岡県内の社民党地方議員)と社民党を離党し、旧民主党や立憲民主党、中道改革連合に移籍した人たちを批判した。
社民党が衰退していった理由の1つは、支持労働組合が旧民主党支持へ回り、社民党を支持する労組が減少したことが大きい。1989年に当時の総評と同盟などが合流して連合(日本労働組合総連合会)が結成されたが、当初、総評系の労組の多くは社会党支持であった。ところが、96年に民主党が結成されると、日教組や自治労といった旧総評系の労組も支持を社民党から民主党に変え、組織内議員を出すようになった。社民党は有力な支持団体を失ったうえに、自民党との連立政権時に、それまで反対してきた日の丸・君が代や自衛隊を容認したことで、コアな支持層が離れた。2002年の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問で、数人の拉致被害者が帰国したが、社民党は北朝鮮拉致事件を認めなかったことも支持を下げた要因である。
昨年10月に101歳で逝去した村山富市元首相を偲ぶ「村山元総理 お別れの会」が4月20日に都内で開催された。村山氏は政治家を引退後も、与野党に幅広い交友関係をもったが、一貫して社民党籍であった。
社民関係者はこうも述べた。「メーデーなどで、連合議員団のなかで立憲と国民民主党は紹介されるが、社民党は名前も呼んでもらえない」。
出席しているにもかかわらず、社民党は空気扱いされているのである。関係者はかつての仲間が他党へ行って議員になり、自民党と協調した動きを見せることへの不快感も述べた。
憲法問題や原発など連合が支持する国民民主党は自民党に近い考え方である。連合内がまとまらないのは、基本政策の面で左右の対立を克服できていないことが大きい。社民に残る人々にとっては、中道や立憲も本来の思想を放棄した「裏切り」に見えるのだろう。
福岡県は1960年代から80年代にかけて「社会党王国」と呼ばれていた。過去の栄光といえばそれまでだが、日本の政治に大きな影響をもった政党が崩壊しようとしているのは寂しい限りである。
【近藤将勝】








