私の編集者人生で“忘れられない”女性たち(後)度胸ある女たちの記憶

『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏

 高市早苗がこの国で初めて首相に就いたことで、皮肉なことに、女性に対する風あたりが強くなっている気がする。やっぱり女性は……。だが、私が会った女性たちは聡明で度胸のある人が多かった。なかにはどうしようもない女性もいたが……。(文中敬称略)

修羅場に強い女たち

 私も編集者という仕事柄、多くの女性たちと会い、話を聞いてきた。

 その経験でいうと、真の「度胸」があるのは女性に多いと思う。家田荘子原作の映画『極道の妻たち』が一時、ブームになったことがあったが、修羅場に強いのは女性の方ではないかと思えてならない。

 先日102歳で亡くなった佐藤愛子という作家がいる。私が会ったのはずいぶん前になる。

 1980年代、ロッキード事件が起こり、田中角栄前首相の第一秘書官の妻・榎本三恵子が「ハチの一刺し」発言で話題になっていたとき、佐藤に頼んで榎本と対談をしてもらったことがあった。

 私は30代半ばで月刊誌「婦人倶楽部」にいた頃だった。

 着物姿の佐藤は凛とした美しさがあった。週刊文春(5月28日号)で佐藤についてこう書いている。

「佐藤さんは1923年、作家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として大阪市に生まれた。
 43年、陸軍航空本部の主計将校と見合い結婚をするも、51年に死別。その後、56年に作家の田畑麦彦と再婚し、4年後に娘の響子さんが生まれた。
 しかし、幸せな結婚生活は続かなかった。当時を知る関係者が回想する。
『夫の田畑さんには浪費癖があり、経営していた会社が倒産。負債額は2億円を超え、佐藤さんは借金返済のために小説執筆を強いられるようになった』
 当時、田畑氏は『借金取りから妻を守るため』に“偽装離婚”を提案。佐藤さんは受け入れたが、気づけば田畑氏は別の銀座の女性と入籍していたという。
『田畑さんは、そんな状況でもカネの無心にきたらしく、佐藤先生はカッとなってお金を投げつけていたんだそうです』(同前)

 69年、そうした体験を基にした小説「戦いすんで日が暮れて」(講談社)が晴れて直木賞を受賞する」

 そして2016年、週刊誌「女性セブン」で連載していたエッセイをまとめた『九十歳。何がめでたい』(小学館)がベストセラーとなり、草笛光子主演で映画化された。対談相手の榎本という女性も、腹の据わった素敵な女性だった。

怖く、美しく、信念を持つ女性たち

 宇野千代という作家に会ったことがあった。

 いつ頃だったか定かではないが、彼女は相当な年だったと思うが、やはり凛とした雰囲気の女性で、若造の私はインタビューどころではなく終始圧倒されてしまった。

 今でも覚えている言葉がある。

「元木さん、作家になる方法は簡単なの。毎日、原稿用紙1枚でいいから書き続けること。そうすれば作家になれる」

 作家になどなれるはずがないと思っていたから、千代さんの助言を聞き入れなかったが、もし、あのころから実践していれば……もう少しましなものが書けていたかもしれない。

 傍に寄ると震えがくるほど怖い女性もいた。『淋しいアメリカ人』(文藝春秋)を書いた作家の桐島洋子と、『妻たちの二・二六事件』(中央公論社)を書いたノンフィクション作家の澤地久枝である。

 “信念”を持つ人間の怖さだろうか。私のような軟弱な人間は、とても敵わないと、会った早々、逃げ支度をしてしまった。

 東大教授の上野千鶴子も会うまではおっかなびっくりだったが、会ってみると、とても話の面白い魅力的な女性だった。

 作家ではないが、印象に残る女性といえば、細木数子という名前も忘れることができない。
話題のNetflix制作のドラマ「地獄に堕ちるわよ」は“自称占い師”細木(2021年11月・83歳没)の決め台詞だった。

 一夜、通しで観てみた。

 細木役の戸田恵梨香は熱演しているが、細木とは似ても似つかない“美形”で、ドラマに没入できなかった。私が監督ならマツコ・デラックスを起用するのだが……。

細木数子という、金と孤独にまみれた女

 私は、テレビで「視聴率の女王」になる前の細木を知っていた。私が講談社に入社したのは70年だったが、その前年だかに細木は赤坂でサパークラブを開いていた。

 いつだったか思い出せないが、知人に連れられて店へ行き、細木から名刺をもらったのが最初の出会いだった。

 私は20代後半、細木は7つ年上だから30代半ば。それから何度か顔を出すうちに、話をするようになった。顔はいかついが話の面白い気さくなママだった。

 彼女から身の上話など聞いたことはないが、細木は渋谷百軒店生まれで、噂では父親は妻妾同居だったといわれる。

 だが、父親は彼女が幼い時に亡くなり、母親が小店をやって糊口を凌いでいたという。

 高校を中退してカフェやバーをやって資金を貯め、20代初めに銀座でクラブを開いたというのだから、やり手であることは間違いない。

 次々にクラブを増やしていった。その裏で複数の暴力団幹部の情婦(イロ)になるなど、女の武器を縦横に駆使したことは想像に難くない。

 だが、ドラマにも出てくるが、ある暴力団幹部に騙され店を潰されてしまう。その頃だったと思うが、テーブルばかりのガランとしたクラブで、細木に呼ばれて2人で話したことがあった。

 彼女の人生で最悪の「大殺界」の頃だった。

 珍しく「元木ちゃん、これからどうしよう……」と弱音を吐いた。だが、30そこそこの私に、できることなど何もなかった。

 細木が、弟が新自由クラブから選挙に出たいといっている、と頼んできたことがあった。親しくしていた山口敏夫に頼んで出馬させたが、政治家になるようなタイプではなく、案の定惨敗。

 どん底だった細木に島倉千代子という、願ってもない“金づる”が舞い込んだのが77年だった。

 美空ひばりと並ぶ大歌手だった島倉は、一緒に暮らしていた眼科医が乱発した手形の裏書をして、2億円以上の負債を負ってしまったのである。

 細木は借金を肩代わりする条件で、島倉の一日あたり500万といわれた「興行権」を自分のものにした。

 当時、週刊現代にいた私に、島倉のインタビューをしてくれないかと、細木から電話がきた。行ってみるとそこには、細木と島倉、細木の間夫(マブ)で暴力団二率会(にびきかい)幹部の堀尾昌司がいた。

 3年間島倉を同居させ、彼女を骨までしゃぶり尽くした。その間に、堀尾と島倉が“密通”したことがあったようだが、少なくとも細木は約10億円を稼いだといわれる。

 細木から稼いでも稼いでも借金は減らないといわれていた。しかし、島倉もようやく気がつき、離れていった。

 その後、占星術の本を送ってきた。細木と占いの話などしたことはないから、パクリ本だろうと読まずに捨てた。

 83年、陽明学者で歴代総理の指南番だった安岡正篤(当時85歳)を誑(たぶら)かして結婚するという大スキャンダルを起こすのである。

 私は細木に電話をして行ってみた。

 細木は笑いながら、「あそこに寝てるわよ」と指をさした。行ってみると前後不覚の老人が横たわり、書画骨董品の類が雑然と積まれていた。

 「あの人、触ってあげると喜ぶの……」。どこに触るのかは聞き洩らしたが、極道の中年女は会心の笑みを浮かべた。

 以来、細木とは会っていない。彼女のテレビも見たことはなかった。私には細木の汚い金儲けの“片棒を担いだ”のではないか、という忸怩たる思いがあったからだ。

 皮肉なことに、テレビ局も知っていながら見逃していた細木と暴力団との「不適切な関係」を暴露し、テレビ界から細木を“駆除”したのは、かつて私がいた週刊現代だった。

 その後も、京都に大邸宅を構え、信者たちに墓を売りつける「霊感商法」まがいで儲けていたようだ。

 「金以外信用しない」と豪語していた女は金にまみれて死んだ。

 ドラマのなかで細木が「恋という字は万葉時代、孤悲と書いた」と語るシーンがある。
彼女の人生も金は儲けたが孤独で悲しい人生だったのではないかと、ドラマを見終わって思った。

(以下次号)


<プロフィール>
元木昌彦
(もとき・まさひこ)
『週刊現代』元編集長 元木昌彦 氏『週刊現代』元編集長。1945年生まれ。早稲田大学商学部卒。70年に講談社に入社。講談社で『フライデー』『週刊現代』『ウェブ現代』の編集長を歴任。2006年に退社後、市民メディア「オーマイニュース」に編集長・社長として携わるほか、上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。日本インターネット報道協会代表理事。主な著書に『編集者の学校』(講談社)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、『現代の“見えざる手”』(人間の科学新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)など。

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