イスラエルとイラン、そしてアメリカ(3)イランの立場

福岡大学名誉教授 大嶋仁

 イスラエルとイランの衝突は、中東だけの問題ではない。そこにはアメリカの覇権、イスラエルの安全保障、イランの反米姿勢、ロシア・中国を含む国際秩序の変化が絡み合っている。本連載では、複雑な世界情勢を図式的に整理しながら、日本がこの対立構造をどう受け止めるべきかを、4回にわたって考える。

 イランが現代史の中で最初に脚光を浴びたのは、79年のイスラム革命の時であろう。それまでのイランは英米の援助を受けた独裁国家で、国王が欧米に倣った表面的な近代化を進めていたのだが、これに反発した伝統主義者たちが革命を起こし、国王はアメリカに逃れた。

 新しくできたイランは国王を持たない共和国で、ホメイニ師を長とするイスラム教シーア派の宗教的イデオロギーを基盤とした国家として出発した。それまでの「西欧化」政策に待ったをかけ、イスラムの伝統を回復することを最優先し、そのため一見すると「歴史」に逆行するもののように見えた。

 とはいえ、それはそれでアジア近代化の一つの表れである。新生イランは社会面や学術面での近代化を排除せず、これを発展させる一方で、伝統文化の核を失うことがないよう努めてきたのである。イスラム教を国教としていることはそのことの表れで、明治日本が国家神道を掲げて天皇を神聖化したことが思い出される。

 もっとも、イランの示した方向が日本の近代化と異なることも事実だ。日本の場合は西欧化による急激な近代化を推進し、欧米式の帝国主義的な発展を目指し、それによって西欧を見返してやろうという意気込みで進んで、結局はその試みが敗戦によって挫折した。一方のイランは、西欧型の帝国主義化など夢にも思わず、古代ペルシャ文明の遺産を引き継いで「誇り高く」構えている。明治日本のような国土拡張の野望は抱いていないのだ。

 では、イランは中華文明を誇る中国の在り方に近いのかというと、そうでもない。中国は西欧近代の主流である資本主義経済を拒否し、共産主義革命によって新たな国をつくったのであるが、その共産主義は西欧のマルクスが生み出した思想なのである。その意味では、中国もまた西欧化の波には勝てなかったということで、伝統への回帰を強調するイランとは異なる。

 ついでにいえば、古代文明を誇るもう一つの国インドは、イギリスの植民地であったことが大きい。古来の社会システムと宗教を維持しているとはいえ、その政治システム1つをとっても、ジャーナリズムの在り方にしても、イギリスの影響を強く受けており、イランや中国とも異なった近代化を成し遂げているのである。

 また、インドの場合はイランと違って宗教が一神教ではなく、ヒンズー教という多神教であることも大きい。インドの宗教が生活習慣化しているのに対し、イランの宗教が厳しい戒律によって国民生活を律している点も、両者を大きく隔てているのである。インドの多神教は一神教をも包み込もうとするが、イスラム一神教のパキスタンはそれを嫌う。おそらくイランは、インドよりパキスタンに親近感を抱いているに違いない。

 なお、イラン人の中には反イスラム主義者もおり、彼らが「本当のイランの宗教はゾロアスター教だ」と主張していることも知っておくべきだ。同じイラン人でも、人によって想定する「伝統」が異なるということだ。日本でも神道を「伝統」と捉える人もいれば、神仏習合を「伝統」と捉える人もいる。ひと言で「伝統」と言っても、一概にその内容を特定できない。

 以上をまとめると、アジア諸国はそれぞれのやり方で西欧文明と対峙し、何とか出口を見つけようともがいてきたということになる。現在イランに起こっていることは、石油の調達の可否といった物質面のことだけでなく、その文化史的な意味においても日本と無関係ではないということを、私たちは心に銘記すべきなのである。

 さて、現在のイランの政治的立場についていえば、明らかに反米的である。アメリカが産油国であるアラブ諸国を実質上支配下に置き、徐々にイランの政治体制を変えようと試みていることに対するイランの反発は、極めて大きいと言わざるを得ない。

 一方のアメリカも、以前からイランには警戒感を抱いており、イランが核兵器を持たないようにと牽制をし続けてきている。最近のアメリカのイランに対する攻撃も、その主要目的は核施設の破壊を狙ったものであったが、アメリカとイランの対立は今に始まったことではなく、79年のイスラム革命以来、ずっと続いてきたのである。

 アメリカがイランを警戒する理由は、それ以外にもある。イランには他のイスラム圏諸国とちがって強固な思想的基盤があること、しかも科学技術の方面で一定水準を保ってきたことなどがその理由として挙げられる。一方のイランにすれば、サウジアラビアやカタールのようなアラブ諸国が容易にアメリカの庇護を受け、自国内に米軍基地を作らせていること自体が我慢ならない。同じイスラム教徒ならもっと「自尊心」をもってアメリカと対峙すべきであり、「アメリカの言いなりになってはいけない」という立場なのである。

 イランの反米主義は、アメリカがイスラエルを支援し、イスラエルにイランを攻撃させていることによって、ますます激しいものとなっている。イスラエルはイスラエルで、「自国の安全を脅かすテロ組織」であるハマスやヒスボラをイランが支援していることが許せず、イランを目の敵にしているのである。

 とはいえ、イスラエルの軍事力は、前にも言ったようにアメリカの支援に依拠している。それだけに、アメリカが支援しなくなったら、自らの存続すら危ぶまれるのである。アメリカがいつまでもイスラエルを支えるという保証はないからこそ、アメリカを引き止めておくのに必死なのである。

 アメリカはイスラエルを使ってイランを攻めるほうが自らの手を汚さずに済むので、イスラエルには好き放題やらせている、という見方もある。イランを牽制する意味で、イスラエルはアメリカにとって「便利な武器」なのだと見るのである。この見方が正しければ、たとえイランとアメリカが戦闘状態にならなくても、イランとアメリカの戦争はイスラエルを介して続くことになる。

 イランとすれば、アメリカのイスラエル援助を終わらせたいにちがいないが、イランの目指すところはさらに大きいようである。アメリカにおけるイラン研究の第一人者であるヴァリ・ナスルによれば、本当のイランの目的は「中東からアメリカ軍を撤退させる」ことにある。そうであるとすれば、石油問題が絡むこの地域の権益を確保しようとするアメリカとイランの戦争は、簡単には終わらないことになる。

 イランがアメリカと対決する姿勢を保持していることは、中東におけるイランを孤立させることにもなっている。多くのアラブ諸国はアメリカとの協調を目指しており、石油に関しても相互利益を優先し、それぞれの国は米軍基地を迎え入れて安全保障を図っているのである。イランにすれば、これは自国の周囲に「敵」が迫ってきていることを意味する。それゆえ、反米意識が強まるとして、不思議はない。

 この状況は幾分か中国の状況に似ている。中国は中国で、韓国や日本や台湾がアメリカの属国であるかのように、軍事的にアメリカに依存していることが非常に気になるのである。中国にとって、本当の脅威は台湾でも、日本でも、韓国でもなく、アメリカである。中国の日本への牽制は日本への牽制である以上に、アメリカへの牽制と認識しておく必要がある。

 そう考えると、現在の日本政府がまるで日本が「アメリカの子」であるかのように振る舞ってアメリカの気を引こうとしているのは、状況を踏まえない稚拙な態度と言わざるを得ない。日本政府は世界の情勢を完全に見誤っていると思えてならない。これは政府が外務官僚のいうことを聞かないからなのか。それとも、外務官僚自体の世界把握能力が落ちているからなのか。

 それはさておき、イランが中国に接近し、同じく西欧勢力を警戒するロシアとも手を組もうとしていることは極めて重要である。アラブ諸国との連携がアメリカの介入によって難しくなり、ある種の孤立状態に陥っているイランとすれば、ロシアと中国と手を組むことで自らの位置を保つことが容易になるのである。

 以上がイランについての概説であるが、これ以上深入りする代わりに世界情勢を図式的にまとめると、現代世界は二つの勢力のぶつかり合いだということになる。アメリカを含めた西欧勢力に対する、ロシア・イラン・中国という対抗勢力という図式なのだ。

 この図式が正しいとすると、日本がいつまでも西欧勢力圏の一部であり続けようとすることは、日本にとっては得策とはならないことが見えてくる。日本はアメリカとも中国やロシアとも距離をとり、インドや東南アジアと連携する第三の可能性を模索すべきなのである。問題は、はたしてどこまで日本政府と外務省がこれを認識しているかである。政府の在り方を見ると、数十年前の世界情勢しか彼らの頭には入っていないのではないか、と思われる。

(つづく)

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