改正労働安全衛生規則の施行により「職場における熱中症対策」が強化されてから、1年が経過した。対策の強化によって発症の状況がどのように変わったのかなどが、このほど行われた福岡労働局の「令和8年度熱中症予防対策セミナー」において明らかにされた。強調されていたのは、「熱中症発症をゼロにすることは難しいが、重篤化をゼロにすることはできる」ということだった。

セミナー参加者の様子。講演者の話に熱心に耳を傾けていた
福岡県は死亡者数ゼロ
2025年6月1日施行の改正労働安全衛生規則により、熱中症を生ずる恐れのある作業を行う事業者に対し、対策が義務化された。義務化されたのは、①管理体制の整備(熱中症の予兆を早期発見する「見守り役」の配置と報告ラインの確立など)、②緊急時手順の策定(連絡体制・応急処置・搬送先を定めたマニュアルの作成と掲示など)、③労働者への周知(全従業員への教育・共有など)の大きく3点。対策を怠ると「安全配慮義務違反」として、刑事罰や行政処分を受けることとなった。25年の熱中症労働災害発生状況(休業4日以上)は1,681件(前年1,257件)と増加したものの、死亡者数は15人(同31人)と前年の約半数にまで減少した。
福岡労働局は5月27日と6月3日、「熱中症予防対策セミナー」を実施し、福岡県における熱中症の労働災害発生状況【図1】を明らかにした。それによると、県内では25年に85件(前年70件)へ増加したが、死亡者数は0件となった。21年から25年の5年間の累計労働災害発生件数246件を業種別に見ると、建設業と製造業がそれぞれ41件で、次いで商業(39件)、運送業(31件)、警備業(29件)などの順で多かった。5年間の発生状況を月別に見ると、7月が99件で最多で、次いで8月が87件となり、7割以上が7~8月に発生【図2】。時間帯で見ると、15時台が35件で最も多いが、終業後に発症しているケースも見られた【図3】。なお、死亡災害はこの期間に3件発生しており、それはすべて8月の15時から17時台となっていたとしている。
発症率はトップクラス
セミナーでは、こうした状況を踏まえて専門家による講演が行われたが、その内容が事業者にとって示唆に富むものであったのでここで紹介する。講師は、大分キヤノン(株)の大分日田人事課産業医で、福岡産業保健総合支援センターの産業保健相談員でもある久保慶祐氏。同氏は、「気候変動により夏場の平均気温が上昇傾向にあるなか、熱中症の発症そのものを防ぐことは難しい。このため、いかに重篤化させないようにするかが重要になる」と強調した。そのうえで、「福岡県、とりわけ福岡市周辺は、主要都市のなかでも夏季の暑さ指数(WBGT)が極めて高く、救急搬送者数も多い地域。海が近い地理的要因から湿気が非常に多く、夜間の気温が下がりにくいため、翌朝まで疲労を持ち越したまま再び酷暑に晒されるという悪循環が生じやすい環境にある。九州各県と比較しても、福岡県の熱中症発症率はトップクラスであり、全国平均を上回るリスクを抱えている」と指摘した。
WBGTとは「暑さ指数」を表すもので、気温だけでなく湿度・日射・風を加味して熱中症の危険度を示す指標【図4】。同じ気温であっても、環境条件によってWBGTの数値は大きく変わる。たとえば、気温が30度であっても湿度が80%あれば、WBGTは31度以上の「危険」レベルに達する。一方で、気温が35度と高くても湿度が40%であればWBGTは27度程度に留まることもある。コンクリートやアスファルトが多い場所では、地面からの輻射熱の影響を受け、WBGTが上昇することもある。久保氏は「WBGTが28度を超えた瞬間に危険なスイッチが入ったと認識すべき」と話していた。
では、そもそも熱中症とは、具体的にどんな症状なのだろうか。久保氏によると、人間の体温は通常、脳の間脳視床下部にある体温調節中枢によって約37度前後に保たれているが、暑さを感じると血管を拡張させて皮膚からの放熱を促し、発汗による気化熱で体温を下げる。しかし、あまりに湿度が高い環境では汗が蒸発せず、体温調節機能が破綻する。体温が40度を超えると、細胞レベルで障害が発生し、体内で炎症性物質が大量に放出される状態に陥る。これは重症の感染症や敗血症と同様の状態であり、血管内で血液が固まりやすくなるなど、全身の臓器に甚大なダメージを与える。
久保氏は、「恐ろしいのは、体温調節中枢のセットポイントが異常をきたす現象。本来37度に設定されているはずの基準値が熱中症によって上昇してしまうと、本人は“体温が異常である”という自覚を持てなくなる。その結果、周囲も本人も大丈夫だと思い込み、帰宅後に誰も気づかないなかで症状が悪化し、自宅で亡くなるという例も報告されている」と警告。こうした現状を背景に、環境省では「熱中症予防情報サイト」を開設し、全国観測ポイントにおけるWBGTの情報を提供している。WBGTのレベルに応じて「注意」「警戒」「厳重警戒」「危険」の4段階の措置を講じる必要があり、「とくに31度を超える危険レベルでは、原則として作業の中止を検討しなければならない」(久保氏)としている。
【図5】
予防の根幹は熱順化
現場での具体的な熱中症対策についても言及。屋内作業であれば黒板などへの掲示が有効だが、建設現場のような屋外作業では、旗の色による識別や、WBGT値と連動して色が変わる回転灯の設置など、言語の壁がある外国人労働者も含めて一目でリスクを認識できる仕組みづくりが重要であるとした。「たとえば中等度の作業強度であれば、WBGT値に応じて30分作業・30分休憩といった具体的な時間管理を明文化し、現場の個人の裁量に委ねるのではなく、組織のルールとして徹底させるべきだ」(久保氏)と述べた。
また、予防策の根幹となるのは「熱順化(暑熱順化)」である。人間の体は、暑さに慣れるまでに約1週間を要する。適切に熱順化が行われると、心拍数の上昇が抑えられ、発汗効率が向上し、深部体温の上昇が抑制される。「とくに注意が必要なのは、新規入職者や高齢者、あるいは長期休暇明けの人たち。お盆休みなどで1週間ほど暑さから離れると、体は元の状態に戻ってしまうため、再度熱順化のプロセスをやり直す必要がある」と話した。
水分と塩分の補給についても、「喉が渇いてから飲むのでは遅すぎる。喉の渇きを感じた時点で、すでに体内の水分不足は進んでおり、摂取した水分が吸収されるまでには約1時間を要するからだ。スポーツ選手のように喉が渇く前に、定期的かつ計画的に飲むことが鉄則。作業強度やWBGTにもよるが、一度に300㎖から600㎖程度の水分を、1日に5回から7回は摂取する必要がある。加えて、空調服や冷却ベストの活用も有効だが、空調服は湿度が70%を超える環境では熱風を循環させるだけになり、効果が激減する」(久保氏)と指摘した。
職場の管理体制について、久保氏は「言いにくい雰囲気を払拭することが何より重要」と強調。朝礼の段階で朝食の摂取(朝食は重要な水分補給源でもある)や睡眠時間をチェックし、異変を感じた者が躊躇なく申し出られる環境を整え、「体調不良を申し出た者に対しては、“言ってくれてありがとう”と賞賛するような文化が、重大な事故を防ぐ。また、可能な限り単独作業を避け、2人1組(バディ制)での作業を基本とすることも大切」と話した。人員配置の都合でバディ制が困難な場合は、深部体温をモニタリングするウェアラブルデバイスの活用も検討に値するが、機械の故障や本人の過信というリスクがあることも忘れてはならないという。
3つのポイント
仮に熱中症が疑われる事態が発生した際、「救急搬送の判断を迷ってはならない。意識が朦朧としている、自力でペットボトルのキャップを開けられない、返答がおかしいといった症状は、すでに重症化の兆候である。応急処置として、速やかに涼しい場所へ移動させ、衣服を緩め、首、脇の下、太ももの付け根などの太い動脈が通る箇所を冷却材で集中的に冷やす必要がある」と述べた。最も効果的な冷却法は氷水に全身を浸すことだが、現場では困難な場合が多いため、可能な限りの冷却手段を講じることが重要。救急医療の世界では、熱中症は心肺停止や大出血に次ぐ緊急事態と認識されており、「深部体温が40度を超えるような状態であれば、30分以内に冷却を開始しなければ生命に関わる」と語った。
最後に、昨年の死亡事例を分析。「20代男性の事例では、本人が体調不良を訴えて更衣室に戻った後、1人で休ませてしまったために発見が遅れ、死亡に至った。別の50代男性の事例では、朝から体調が悪かったにもかかわらず作業を続け、動けなくなってから搬送されるまでに2時間のタイムラグがあった。60代男性が“少し疲れた”と車内で1人で休憩していたところ、そのまま亡くなっていたというケースもあった。これらの事例から得られる教訓は明白で、『1人にしないこと』『大丈夫という言葉を過信しないこと』『速やかに専門的な医療機関へつなげること』の3つのポイントを重視してほしい」と話した。
25年の夏は日本の平均気温が平年を2.36℃上回り、1898年の統計開始以来で史上最高となった。気象庁は、26年の夏について25年を上回るとは予測をしていないが、いずれにせよ熱中症への警戒を怠るべきではない状況だ。
【田中直輝】

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