【クローズアップ】奨学金返還支援を人材戦略に 福岡市における企業・自治体の若年層支援
人材確保が経営課題となるなか、奨学金を返還する若手社員の負担を企業が肩代わりする取り組みが広がっている。自治体も補助制度を設けており、奨学金返還支援は採用や定着につながる福利厚生としてだけでなく、自治体も補助制度を設け、地域の若年層を支える人材政策としての性格を強めつつある。企業にとってどのような効果があり、実際の運用では何が課題となるのか。福岡市内の導入企業に話を聞いた。
企業の奨学金代理返還とは
大学学部(昼間部)では、奨学金を利用する学生が約2人に1人に上る。奨学金は進学機会を支える重要な仕組みである一方、卒業後には返還が始まり、長期間にわたって若者の生活や将来設計に影響する場合もある。こうした負担を軽減するとともに、若手人材の採用や定着につなげようと、従業員の奨学金返還を支援する企業が増えている。さらに近年では、自治体が企業による返還支援を後押しする動きも出てきた。
(独)日本学生支援機構の「2024年度学生生活調査」(2026年3月公表)によると、大学学部(昼間部)で奨学金を受給している学生の割合は51.1%に上り、約半数を占める。22年度調査より低下したものの、約2人に1人が奨学金を利用している計算だ。うち約8割が、返還が必要な貸与型という。奨学金が収入額に占める割合でみると、22年度の20.7%から24年度には21.6%へ上昇した。家庭からの支援の割合は低下(55.8%→50.7%)し、アルバイト収入の割合は増加(19.1%→25.0%)している。若年層にとって毎月の奨学金返還は固定的な負担となる。返還期間が10年、20年におよぶ場合は、将来設計にも影響を与え得る。奨学金は進学機会を支える一方、卒業後は長期間にわたる債務になるという二面性をもつ。
こうしたなか、企業が従業員に代わって奨学金の一部または全部を返還する「企業等の奨学金返還支援(代理返還)制度」が広がっている。日本学生支援機構(JASSO)は21年4月、企業から同機構へ直接送金できる仕組みを導入した。
返還制度の利用企業は24年5月末の2,023社から、26年3月末には4,852社へ増加した。返還支援は従業員の経済的負担を軽減するとともに、導入企業にとっては若手人材に対して福利厚生の充実を示し、採用や定着を促す手段となる。
近年は、自治体が企業の返還支援制度導入費用を助成する動きが広がっており、福岡県内でも25年度からこうした取り組みが始まった。福岡市が25年度に開始した企業向けの支援事業「中小企業奨学金返還支援事業」の登録企業に、制度導入の狙いや効果、実際の運用状況などを聞いた。
(株)旭鑑定補償
伝わりやすさが魅力
不動産鑑定や補償コンサルタント業務を手がける(株)旭鑑定補償(福岡市中央区、津久井顯代表)は、25年10月から奨学金返還支援制度を開始し、福岡市の支援事業を活用している。専務取締役・津久井良氏と営業・総務グループの佐々木惟氏に話を聞いた。
同社では35歳までの正社員を対象に、月額2万円を代理返還で支援する方式を採用している。支援額は日本学生支援機構へ直接送金する。新卒者だけでなく、中途採用者や制度導入前から在籍する社員も対象とし、要件を満たせばとくに審査等は行わない。
支援額は、部署横断型のプロジェクトチームが社員の月々の返還額や完済予定時期を調査したうえで決定した。月2万円の支援であれば、多くの社員が30代半ばまでに返還を終えられるとの試算が根拠となったという。奨学金の債務者が社員本人であれば、現在は親が返還を手助けしている場合も対象とする。同社は、社員本人に加え、学費を支えてきた家族の負担軽減にもつなげたい考えだ。
25年10月の制度開始に向け、半年以上前から導入を検討し、同年7月には年度内に運用を始める方針を全社員へ通知していた。検討期間中の同年6月、福岡市が「中小企業奨学金返還支援事業」を同年度から実施すると公表したことも、決定を後押しした。
津久井氏らは、返還支援を行う理由について、若手人材の採用難や定着面での課題を解決するためと話す。
同社でもベースアップを継続的に行っているが、一律の賃上げだけでは、若手社員に会社の支援姿勢が伝わりにくいと感じていた。このため、対象者がメリットを直接実感できる、分かりやすい福利厚生として奨学金返還支援に着目したという。
不動産鑑定や補償コンサルタントは専門性が高く、学生をはじめとする求職者に仕事内容や企業名を知ってもらいにくい。支援制度を採用活動で示すことにより、同社を知ってもらう入口とし、若手人材の確保と長期的な定着につなげる狙いもある。
制度の普及に期待
同社で支援を受ける社員からは、「自分が返す予定の奨学金を会社が負担してくれるのはありがたい」と歓迎する声が寄せられている。採用活動でも、奨学金を利用する学生から好意的な反応が得られているという。
もっとも、現時点で同制度の導入が入社の決め手になったとまではみていない。昨年10月から始まった制度ということもあり、応募数や定着率への効果を数値で検証できる状況ではないためだ。とはいえ、社員満足度の向上については一定の手応えがあり、将来的に帰属意識の高まりや定着率の向上につながると期待する。
25年当時の福岡市の対応について、津久井氏は「市内で導入企業を増やそうとする熱意を感じた」と評価する。申請書類の整え方に関する助言や進捗確認など、事前調整も円滑だった。
一方、日本学生支援機構に関する手続きについては、柔軟な運用を望むとの意見が聞かれた。口座登録や定期的な確認・報告などの事務について、管理上、手続き時期を決算期に合わせることを希望したものの、機構側からは申請時点を基準に毎年手続きが必要であり、時期は調整できないとの説明を受けたという。
今後について、津久井氏は、福岡市など行政による現行の補助制度と予算が維持され、制度が定着した後には補助額や補助率が拡充され、導入企業がさらに増えることを期待する。それにより、若手求職者が奨学金返還支援を一般的な福利厚生の1つとして受け止めるまでに普及してほしいと話す。また、採用難に苦しむ業界においても、同制度の利点が知れ渡り、普及していくことに期待を寄せる。
(株)キャッチアップ
働きやすい環境整備のため
ウェブシステムの開発などを手がける(株)キャッチアップ(福岡市中央区、江頭竜二代表)は、福岡市の支援事業開始より早く、24年から日本学生支援機構の代理返還制度を導入している。経理・労務担当の照山章子取締役に話を聞いた。
取締役 照山章子 氏
同社では、正社員を対象に月額2万円、最長10年間支援する制度を設けている。対象は新卒・中途を問わず、入社から1年が経過した後に支援を開始する。
導入のきっかけは、23年に入社した社員が多額の奨学金の貸与を受けていると知ったことだった。照山氏は、「新入社員が返還を続けるのは大変だろう」と考え、会社としてできる支援について調べるなかで、代理返還制度の導入を決めた。福岡市が支援事業を開始してからは、その補助金を受けている。
照山氏は導入の狙いについて、経済的な不安を和らげ、社員が仕事に集中できる、働きやすい環境を整えることと話す。とくに採用面で中小企業は大手企業に比べて不利であるため、そうした環境整備が重要だという。実際の利用者からも喜ばれており、定着に一定の効果があると感じている。
一方で、支援制度を強くアピールしすぎると、社員が「支援を受けているから辞めにくい」と心理的な負担を感じることも避けたいと話す。採用活動において制度の紹介は行うものの、強くアピールすることはしていない。
福岡市の支援事業では、日本学生支援機構などの奨学金を対象としているが、返還済みの場合は対象とならない。銀行の教育ローンなども対象には含まれない。そうした支援対象外の社員から、とくに返還支援制度に関する意見が聞かれることはないという。同社では、関連する社内規程や返還支援の申請手続きの詳細を社内ポータルサイトに掲載している。社員がいつでも確認できるようにしており、制度への理解を深めてもらっているという。
メリットと課題
照山氏は、JASSOへの代理返還には税制上の利点があり、それは返還支援制度の大きなメリットだと評価する。一定の要件を満たせば、支援額は社員の給与所得に算入されないため、所得税の課税対象とならない。社会保険料の算定上も、原則として報酬に含まれない。企業側では、代理返還額を給与として損金算入できる。
ただ、日本学生支援機構側は企業の口座情報について毎年の登録を求めており、更新手続きが遅れると、その期間は代理返還ができない点を問題視している。また、口座情報に変更がない場合も更新が必要であることについて、周知が不十分だったという。
口座登録がされていないと企業は代理返還を行えず、相当額を後日、給与として社員に補てんするなどの対応を迫られる。その場合、本来の代理返還であれば生じなかった税負担が、社員に発生する場合があるという。給与として社員に支給した分について、その用途が社員の奨学金返還であることを示すことで非課税として扱われる余地はあるものの、会社にとっても社員にとっても手間がかかるようだ。
同社は今後も、利用を希望する社員がいる限り、返還支援を継続する方針だ。今後については、代理返還の対象に銀行の教育ローンなども含まれるよう、制度が拡充されることを期待している。
社員が返還する支給型も
このほか、匿名を条件に取材に応じた福岡市博多区の建設業関連業者も、25年10月から福岡市の返還支援制度を導入している。導入の狙いは、若手社員の経済的負担を軽減し、安心して長く働ける環境づくりを進め、定着促進につなげることにある。また、同制度については、奨学金返還という個々の事情に直接対応でき、経済的な負担を抱える若手社員への実質的な支援として有効だと感じているという。社内では、支援対象外の社員からも福利厚生の充実として前向きに受け止められており、不公平感は出ていないという。今後は、同制度の運用状況を踏まえ、支援期間の延長や支援額の拡充なども検討するという。
なお、同社は代理返還ではなく、手当支給方式を選択している。社員は企業から支給された手当を用いて、自身で日本学生支援機構などへ返還する。代理返還とは異なり、税制上のメリットは受けにくいものの、日本学生支援機構への登録や送金管理などの手間が省ける。そのため、対象者が少ない企業や、経理・労務の担当者が限られる企業にとって、より導入しやすいとみられる。
福岡市がウェブサイトで公開している導入企業のうち、社名公表を了承している企業では、代理返還が30社、手当支給が8社、両方に対応する企業が5社と、代理返還が多い。
福利厚生から人材戦略へ
いずれの企業にも共通するのが、若手社員の負担軽減という狙いだ。地域の企業は、奨学金返還支援により、「若年層社員の生活に寄り添う企業」という姿勢を具体的に示せる。自治体には、地元就職や定着、中小企業の採用力向上を図る狙いがある。
26年からは、福岡県、直方市、大川市も、企業が実際に負担する返還支援額を補助する制度を設け、受け付けを開始した。久留米市は返還支援制度を新たに導入した企業に、奨励金として30万円を一括交付する。このほか、域内に居住する住民へ直接補助する自治体や、保育士、看護師、教員など特定職種向けに制度を設けている自治体もある。奨学金返還支援は、一部企業による独自の福利厚生から、地域の人材確保政策へと性格を変えつつある。
福岡市、福岡県ともに、国やほかの自治体などによる同一目的の助成金との重複受給を認めていない。申請可能な制度が複数ある場合は、要件や支援内容などを比較したうえで、運用しやすい制度への申請を検討してほしい。
【茅野雅弘】










