ローマ法王レオ14世──その世界にとっての意味──(5)バチカンの意味
福岡大学名誉教授 大嶋仁氏
これまでレオ14世に焦点を絞って論を進めてきたが、レオ14世の出現が決して偶然ではないことを、彼の「聖なる座」を確保しているローマ法王庁、すなわちバチカンについて理解することで締めくくりたい。
ローマ法王庁の世界における存在意義について真剣に取り組もうとした日本人といえば、元駐バチカン大使の上野景文氏であろう。氏の『バチカンの聖と俗』(11年)は一読に値する本である。
氏は「自分はカトリック教徒ではない、仏教的な神道の徒である」と公言している。しかし、国際関係を理解するには、それぞれの地域の「文化」を考える必要があり、それにはその地域の「宗教的伝統」を考えなくてはならないと考え、世界の動きを理解するには世界各地に信徒をもっているカトリック教を知らなくてはならず、とくにその総本山であるバチカンを知らなくてはならないという思いに至ったというのである。そして、外務省の人間であることを利して、駐バチカン大使のポストに就いたのだそうだ。「バチカンに行きたいなんていう外務省の人間はほとんどいませんので、簡単に行くことができましたよ」と本人はケロッとしている。
まず、氏のこの世界認識の仕方であるが、当人に宗教的心情がまったくなければ「文化」と「宗教」を結び付けて理解しようという発想は生まれなかったろうと思われる。外務省があつかう問題は主に政治問題で、しかも問題を法制的観点から処理する官僚的な傾向があるのだが、上野氏には例外的にそうした資質がなく、「人間を見よう、文化を知ろう」という人文主義的資質がまさっているのである。
むろんそうはいっても、上野氏はカトリック教とローマ法王について知ることだけを目的としてバチカンに赴いたわけではなさそうだ。バチカンには世界中のVIPがやって来るから、「世界全体が見えてくる」ということも念頭に置いていたと思われる。すなわち、国際政治の表舞台がG7サミットであるとすれば、その裏舞台がバチカンであるという見識。その裏舞台を見ることで、世界がわかってくると見たのである。
では、なぜ各国の一級の政治家が法王を訪問したりするのか?この問いに対する上野氏の答えは、「法王が政治や経済や社会の問題についてのご意見番だからであり、その意見の影響力が想像以上に大きいからです」というものである。つまり、一国の主たる政治家は、自分が何か国際的に影響をおよぼすようなことを決める際に、「一応は法王の意見を聞いておこう」と思うということである。
日本はカトリック国ではないから、そのように思う政治家はまずいないと思われるが、上野氏によれば、必ずしもカトリック教の信者が多くない国の政治家でもバチカンを訪れるという。
また、氏によれば、バチカンを訪問するVIPのなかには、イスラム教国や仏教国の宗教界を代表する人物もおり、バチカンは「世界宗教の出会いの場」ともなっているという。政治と宗教と文化、この3つが重なり合ってバチカンが成り立っているのである。
「バチカンは小さな国家なのですが、そのありようは時代離れしています。だって、宗教機関でありながら国際機関でもあり、国家でありながら国民がいなくて、しかも法王は独裁者といってもよい存在なんですよ。そのような国家はめったにありません。面白いことに、バチカンとイランの関係は皆さんが思っている以上に深い。それもそのはず。イランは現代では珍しい宗教国家ですから。」
このように言う氏によれば、バチカンの重要性は世界経済にも影響している。現代世界は資本主義がまさって「市場経済」主義が圧倒的優勢を誇っているが、カトリック的に見れば、これは「不平等」の根源なのである。従って、バチカンは少しでもこれを是正しようと、貧困地域に積極的に財政援助を行っている。
一例を挙げればアフリカの財政支援で、世界のアフリカ支援の3割以上がバチカンによるものだと上野氏は言う。こうしたバチカンの経済援助の側面について日本人はほとんど知らないだけに、貴重な情報提供となっている。
「バチカンは世界一の巨大な情報発信基地だ」ということも上野氏の力説するところだ。世界最大級の情報発信メディアとしてはロイターとかAPとかが知られているが、バチカンはそれに匹敵する巨大なネットワークをもっており、しかも世界各国の言語に翻訳発信できるという点で「世界一」ということになるのだ。
バチカンの情報メディアが「事実報道」に力点を置かず、「世界をよくするためにカトリック教会は何を目指しているか」を優先している点で、他のメディアとは異質であることはたしかだ。しかし、バチカンは現代世界の風潮がさまざまな宗教文化を認める常識であることを踏まえたうえで、カトリック教の現代的価値を発信している。それを実現できるだけの人材と手段と技術をもっており、またそれを受信する層も巨大なのである。
「人によっては、『人民日報』と同じではないかというんですけど、『人民日報』は中国共産党の機関紙です。バチカンの場合は、そういう機関誌も出していますが、世界のさまざまな宗教を紹介したり、アフリカの貧困地域の問題を掘り下げたり、カトリックの視点を前面に押し出さない情報発信もしているんです」と上野氏はいう。4年間のバチカン生活は、氏にとって「至福の時」だったかに見える。
だが、そういう氏が日本人に向かっていくらバチカンのことを語っても、日本人がこれに好意的に反応するかは疑問である。しかし、氏はいう、カトリックと日本人には接点があると。
「接点はありますよ。カトリックは儀式とかのかたちを重んじますし、とても具体的ですから、プロテスタントなんかより親しみやすいはずです。それになにより、聖人崇拝を認めていますから、神という抽象的な存在と私たちとを仲介するものがあるんです。これなんか、神道の考え方に近いのではないかと思います。」
以上、上野氏の語るバチカンについて要約してみたわけだが、そこから見えてくるのは、「日本人はカトリック教を知ることで、世界から孤立せず、日本人のままでいられる」という氏の信念ではないだろうか。はたしてどれほどの日本人がこの氏の信念に共鳴するか。バチカンに行かなければ、それはわからないのだろうか。いずれにせよ、バチカン抜きに世界を見ることには、大きな誤りがあるように思える。
(了)









