2024年11月22日( 金 )

患者さまのための医療は不朽のテーマ

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カマチグループ 会長 蒲池 眞澄

40年間変わらぬ救急救命への思い

カマチグループ 蒲池 眞澄 会長<

カマチグループ 蒲池 眞澄 会長

 東京都心の山手線沿線に病床303床の日本最大級回復期病院、原宿リハビリテーション病院を開設したカマチグループ。これをわずか2カ月で満床としたことで、医療業界のみならず、世間を驚かせた。会長の蒲池眞澄氏は、「東京の回復期病院の数は人口、急性期病院の数に比べて圧倒的に少なく、全国的に見ても最下位クラス。これでは住民が困るだろうと思い、開設した」と語る。患者のために必要であれば、誰も手を付けなかった大事業にも果敢に打って出る同氏の経営手腕が大企業経営者並であることは、今や誰もが認めるところだ。同グループ内には社会医療法人財団池友会、一般社団法人巨樹の会、学校法人福岡保健学院、医療法人社団緑野会という4つの法人があり、福岡、佐賀・山口および関東圏で救急医療から回復期リハビリテーション、看護師やセラピストの教育と育成などを行っている。

 しかし蒲池会長の理念は、1974年に山口県下関市に病床19床の下関カマチ病院を開設して以来、「患者さまのためになる医療」であることに変わりはない。そのため、常に国の医療政策を10年先取りして動く、という姿勢で40年余の医療経営を貫いてきた。
 「医療現場の常識」にとらわれない経営も数々行った。たとえば救急医療。かつて救急対応できる病院自体が限られており、交通事故に遭えば死に至る確率も高かったという時代があった。それほど、救急医療体制は遅れていた。そのような時代に小倉に小文字病院を開設、積極的に救急車を受け入れた。
 また、救急で受け入れた患者には、いち早く日常生活に復帰できるような状態で自宅に帰すことを第一と考え、同病院での回復期医療体制を整えた。今でこそ、術後の初期段階でリハビリを行うことも良しと思われているが、これも最近まで医療の非常識だと思われてきたことだ。

 病院を増設させるだけでなく、看護師やセラピストなどの人材育成を並行して実施。こうして独立独歩で進めてきた同グループの後には、必ず現代医療現場における新しい道が生まれた。今求められる地域医療、早期回復期病棟、健常な状態で地域社会に戻し、早く社会活動できるような治療を施すこと、医師と看護師、セラピストたちが支え合って治療に臨むチーム医療などは、すでに蒲池会長が先駆者として行ってきたものだ。

福岡から日本民族のための医療を発信

 新病院を開設するために経営難に陥った病院を買取り、黒字転換させてきた。今後10年は、「首都圏での回復期施設の展開による地域医療に尽くしたい」として、東京都心部で回復期病棟を次々と開設させていくと公言もしている。九州でも2011年に、佐賀県武雄市の市民病院を引き継ぎ新築移転して再スタートさせたことは記憶に新しい。このときは当時の武雄市長、樋渡氏を叱咤激励し、見事に病院経営を健全化に導いた。臨床研修医を多く受け入れてきたことから、蒲池院長に育ててもらった、と慕う他病院の医師や医学部教授も多い。それというのも、一度縁を結んだ人々とは、厳しい指導を施すことも含めて真剣に誠実に接してきたからだろう。

 独自の動きが多かったためか、長く医師会にも所属していなかったが、最近、同会へ所属したことから、関心の目も向けられている。だが、どんなに時代が変わっても、蒲池会長の、「手には技術、頭には知識、患者さまには愛を」というテーマを追求する姿勢は変わらない。昔から良いものとして受け継がれ、これからも求められる医療を行っていくという蒲池会長の意志は、不動なのだ。

※記事内容は2015年8月31日時点のもの

<INFORMATION>
社団医療法人財団池友会 福岡和白病院
理事長:蒲池 眞澄
所在地:福岡市東区和白丘2-2-75
創 立:1978年12月
資本金:1億1,522万円
TEL:092-608-0001
URL:http://www.f-wajirohp.jp/

<プロフィール>
kamati_pr蒲池 眞澄(かまち ますみ)
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。現在、社会医療法人財団池友会理事長、一般社団法人巨樹の会会長。

 

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