「元木昌彦」の検索結果

既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(4)
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(4)
 神保『日本では、権力者側と市民社会の間には川が流れていて、市民社会の利益を代表しているジャーナリストは決して「あちら側」から報じてはならないという原則を知らずに、とくに意識しないまま橋をわたってしまっている記者が多いように感じます
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(3)
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(3)
  元木『1月15日の「マル激トーク」で、神保さんがかつていたAP通信の倫理綱領についてやっていましたね。興味深く見ました...
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(2)
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(2)
 元木『新聞のデジタル化も多少成功しているのは日経だけで、ほとんどが苦戦しています...
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(1)
既存メディアの衰退と新メディアの台頭について(1)
 この国のマスメディアの腐敗は確実に、深く進行していて、もはや後戻りのできないところまできてしまっていると、思わざるを得ない。
【元木昌彦】追悼・立花隆 ジャーナリストはマックレイカーたれ。
【元木昌彦】追悼・立花隆 ジャーナリストはマックレイカーたれ。
立花隆さんが亡くなった。享年80。『文藝春秋』に書いた「田中角栄研究~その金脈と人脈」は調査報道の金字塔といわれている。あまり知られていないが、立花さんが角栄と金について最初に書いたのは週刊現代だった...
元『週刊現代』編集長・元木昌彦氏が実名で語る『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』トークイベント開催
元『週刊現代』編集長・元木昌彦氏が実名で語る『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』トークイベント開催
7月15日、元『週刊現代』編集長・元木昌彦氏が講談社などについて語るトークイベントが「Readin’ Writin’ BOOKSTORE」(東京都台東区)で開催された。聞き手は落合博氏...
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(後)
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(後)
本田さんが悩んだのは、日本人が自らの血を差し出してくれるだろうかということだった。
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(中)
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(中)
蔓延の源は、商業血液銀行と呼ばれていた買血業者の反社会性にあった。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎の簡易旅館街に住む日雇労働者を狙って買血し、汚染された血液が病院に運ばれ輸血されて、血清肝炎が大流行したのだ。  さらに、常習売血者のほうも、血を売り過ぎてバタバタ倒れているというのである。
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(前)
【昭和のキーパーソン】売血から献血へと時代を変えたノンフィクション作家、故・本田靖春(前)
なぜ、マスコミがマスゴミといわれるようになってしまったのか。その理由を一人のノンフィクション・ライターについて語ることで明らかにしてみたい。
元木昌彦氏の『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』を追加プレゼント
元木昌彦氏の『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』を追加プレゼント
昨年、NetIBNewsで掲載した元木昌彦氏の「平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録」が『野垂れ死にある講談社・雑誌編集者の…
元木昌彦氏の「平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録」が単行本化~『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』を先着5名様にプレゼント
元木昌彦氏の「平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録」が単行本化~『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』を先着5名様にプレゼント
NetIBNewsで昨年掲載した元木 昌彦氏の「平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録」が『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)として単行本化された...
日本の未来を変えるか!数々の社会事業を立ち上げ(前)
日本の未来を変えるか!数々の社会事業を立ち上げ(前)
NPO法人創造支援工房フェイス代表理事・池本修悟氏は、大学時代からNPO(非営利団体)の事業サポートや社会活動を行う人たちのネットワーク化などさまざまな社会事業に取り組んできた。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(21)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(21)
平成13年7月。私が講談社から子会社の三推社へ移って間もなく、ノンフィクション作家の本田靖春から手紙をもらった。「このたびは、講談社を退かれるとの便りを聞き、本来ならばお伺いしてご挨拶申し上げるところ、とり急ぎ書状で深く深く感謝の言葉を述べさせていただきます。貴兄が講談社にもういないのだと思うと、ポツカリ心に大きな穴が開いたようで、寂しくなります。そして、一つの時代が終わったなあ、という思いにとらわれるのです」
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(20)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(20)
講談社の株主総会は毎年2月後半にある。私は役員になったことがないから詳らかには知らないが、局長以上の人事がここで決まるようである。 役員に昇格する者、役員を退任する者、子会社に出向させられる者など、社長以下一握りの人間たちの“意向”で決定され、サラリーマン人生の勝ち組負け組が決まるのである。  私は、社内人事には関心が
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(19)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(19)
振り返ると、私の講談社人生は、編集長を辞してからが「実人生」だったと思う。それまでは夢物語とまではいわないが、地を足で踏んでいなかった、そんな気がする。結婚してすぐに、ジャニーズ問題で婦人倶楽部に飛ばされたときは、心底辞めてやろうと考え悩んだ。だが、まだ私には若さがあった。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(18)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(18)
週現編集長在籍は5年半。社史『物語 講談社の100年』によれば最長である。自分でいうのもおかしいが、他社も含めて、これほど順調だった編集長は、そうはいないと思う。取材先との緊張関係は何度もあったが、編集部内はベタ凪状態だった。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(17)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(17)
私には愛社精神がない。大学は早稲田だが愛校精神など全くない。だが、自分が携わってきた週刊現代、フライデー、廃刊になってしまった月刊現代、ジャニー喜多川の件ですっ飛ばされた婦人倶楽部(廃刊)も好きである。愛しているといってもいい。週現編集長を辞するまでは、講談社という組織に属しているサラリーマンだと考えたことはほとんどなかった。
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(16)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(16)
オウム事件の話に入る前に、週現時代の私の仕事の仕方について触れておきたい。今でも、かつての部員たちに会うと、「あんたの編集長時代は厳しかった」とよくいわれる。私には、厳しくしたという意識は毛頭ない。だが、部員たちの意見をあまり聞かず「独断専行型」の編集長だったことは認める。
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(15)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(15)
私が週刊現代編集長だったのは平成4年から平成9年までの約5年半だった。販売に調べて貰ったら、この間の平均実売率は82%を超えていた。あの当時でも信じられないほど高いが、今思い返せば、編集部員に恵まれたことと、私にツキがあったということだろう。
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(14)
「平成挽歌―いち編集者の懺悔録」(14)
その男は月刊現代編集部にノソッと入ってきて、ボソッといった。「元木さんいますか」それが松田賢弥との出会いだった。先輩からの紹介だった。「記者をやりたい奴がいる。会って、使えなかったら断ってくれ」。業界誌をいくつか渡ってきたらしい。年は30代半ば。「あんた永田町は詳しいか?」と聞くと、まだ行ったことがないという。