2024年11月24日( 日 )

人に歴史あり(前)

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大さんのシニアリポート第64回

 「サロン幸福亭ぐるり」(以下、「ぐるり」)も11年目を迎え、延べ来亭者数は3万人を遙かに超えた。そして30数名が鬼籍に入られた。そのなかでも忘れられない人が2名いる。ふたりともまだ健在である。今回は、ふたりに敬意を表するという意味でも実名で紹介したい。ふたりに共通するキーワードは「戦争」であり、戦後を「毅然として生きてきた」という自信に満ちた生き様である。横井京子さん(87歳)、内田克己さん(92歳)。それぞれの人生の一部分を切り取ってみたい。

横井 京子 さん

 横井京子さんが始めて「幸福亭」(「ぐるり」の前身)に来亭されたのは、7年ほど前である。背が高く、細身の身体を和服(布を巧みに身体に巻き付けた着物風アレンジ。自作だといっていた)で包み、気品に満ちあふれた女性だった。いつも柔和な面持ちで、物静かに話す。他人の噂話には無頓着で無関心。自慢話ひとつ聞いたことがなかった。眼鏡の奥にある瞳はいつも輝き、それが表情を豊かにし、彼女に備えられた知的なイメージと気品をいっそう高めた。
 自分の過去を自慢げに語る人は少ない。最も「ぐるり」の亭主という立場から、本人が話さない限り、しつこく問いただすことはしない。「私の人生は波瀾万丈だけど、人に話すほどではないの」とどこか自分を突き放す雰囲気が、逆に神秘的な美しさを保つのだ。彼女にすさまじい人生が隠されていたことを後で知った。

 幼い横井さんは父親の仕事の都合で中国大陸に渡る。「皆さま親切にしてくれました。でも、どうしても信じられないことがいくつかありました。そのなかのひとつに子どもが死ぬと、城塞跡(廟らしい)の上から下に向けて投げ捨てるんです。どうも、親より先に亡くなるのは親不孝だということなんでしょうか。城塞跡から下を見ると、捨てられた子どもの遺体がたくさん見えました。野鳥がその遺体をついばむんです。風葬ってことなんでしょうか。なんだかかわいそうで仕方がありませんでした。まだ子どもだったんで、理解できなかったんでしょうね。日本との風習の違いに驚かされる生活の連続でした」
 中学は現地の日本人学校に通った。しかし、戦局は次第に悪化し、ついに敗戦。ソ連軍が満州になだれ込み、命からがら帰国のときを待った。横井さんは両親と姉と逃げた。途中、子どもの面倒を見ることのできない親は、中国人に子どもを預けた。中には金品と子どもを交換する親もいたという。命を守るため、横井さんは頭を坊主にし、男の子の着物を着た。しかし、可愛らしかった彼女は、男装をすぐに見破られ、再三危ない目に遭ったという。

 帰国して間もなく縁談が持ち上がる。当時の結婚は親同士で決めた。しかし、予期せぬことが起きる。従兄が横井さんを見初め、猛アタック。根負けした彼女は彼の申し出を受ける。しかし、周囲は猛反対。すると彼は突然、横井さんの手を取って駆け落ちの挙に出た。なぜか伊豆大島に逃げたのだが、追っ手が迫り、関西へ。許されざる結婚生活がスタートする。
 仕事は輸入家具の仕入れ販売。元来、後先を考えないタイプで、採算を度外視した家具を輸入するものの、大口の注文も、確立した販売ルートもあるわけでもなく、たちまち経営に行き詰まる。「私は耐える女なの」が横井さんの口癖だ。家などを売り払い、無一文に。流れ流れてこの地にたどり着き、やがて夫が死去。独りになった直後に私と巡り会う。7年ほど前のことだ。

 見事な油絵を描くものの、それを披露することに躊躇した。何事にも控えめに接した。やがて横井さんは帰るべき自分の家も、「ぐるり」の場所も、銀行の口座番号も失念した。でも、彼女の凄いところは、「私はときどき自分の帰る家が分からなくなります。どうか、皆さまで助けてください」と入亭者の前で宣言したことだ。認知症になってもプライドだけは失われることはない。自分が認知症であることを他人に悟られることを恥と考える人が大半だ。横井さんにプライドがないわけではない。「人前でみじめな自分をさらけ出したくない。それなら公表する」。そうすることが彼女のプライドなのである。

 私は「認知症を公言した人」に初めて出会って感動した。来亭者は横井さんに自然なかたちで接し、助けた。2年半ほど前、施設への入所が決まった。「お別れ会をやるから、入所日が決まったら教えて」という私の声に、「私は見送られるのが嫌いなので、人知れず消えます」といった。そしてその通り、忽然と姿を消したのだ。生き様が実に格好いい!

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
(63・後)
(64・後)

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