日本型GMSの本格終焉(前)
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流通アナリスト 神戸 彲
9月18日、セブン&アイ・ホールディングスがイトーヨーカ堂40店舗の閉鎖を決めたと発表した。正直に言って四半世紀遅い決断であるといっても過言ではない。
GMSといっても食品売り場を持たないアメリカのそれとは違って日本独自の型でスタートした日本型GMSは高度成長前期には目覚ましい発展、拡大を見せた。当初は、ブームが去って閉鎖したボウリング場や映画館跡などの仮住まいでスタートした企業もあったが、その後、爆発的に拡大した消費市場に後押しされるように次々に大型店を出店して消費市場を席巻した。
1957年に創業したダイエーはその典型で福岡の地でショッパーズダイエーを開業した翌年の1972年には創業からわずか15年でそれまで小売業首位だった三越を抜いて小売業日本一になっている。その後、1970年から1980年代にかけてイトーヨーカ堂や西友、ニチイ、ジャスコ、ユニーなど日本型GMSは次々に従来の小売業を凌駕し、その存在感を大きくしてきた。
しかし、その隆盛にもやがて陰りが訪れる。その理由を大きく分けると以下の二つが考えられる。
1つは消費市場の変化である。1970年代に入ると、それまで同じものを同じようにと競って買い求めてきた消費者のし好が大きく変わる。十人十色が、やがて一人十色と言われる時代がやって来た。単品大量で事業を拡大してきた日本型GMSはこの時代変化に対応できなかった。量の消費が際限なく拡大するという前提で作られた店舗は、売場面積の拡大を優先し、楽しさや快適さといった次に来る市場ニーズに対応できなかったということである。そしてそれは現在も続いている。それを象徴的に表すのが、坪当たりの売り上げで、当初、200万円に近かった1m2当たりの売り上げは直近では約60万円とピーク時の4分の1にまで低下している。過剰な店舗と消費者のし好変化がその大きな原因である。
もちろん、若年人口の減少と高齢化いう要因も小さくない。高齢化した消費者は若い世代と違って、あまり物を買わない。特にファッション商品にその傾向が顕著である。さらにファッションのカジュアル化や携帯、スマホなどのITグッズなど異なった分野への消費支出も見逃せない。しかも、これらは日本型GMSが特に苦手とする分野である。つまり、日本型GMSは市場の変化対応に後れをとったのである。いや、後れをとったというより、失敗したといったほうがいいかもしれない。その証拠に1980年代半ば、日本の小売業のトップ10だったGMSで現在も残っているのは半分以下の4社に過ぎない。ダイエー、西友、ニチイ、長崎屋など当時の名だたる小売業が消えてしまっているのである。九州でもユニード、壽屋、ニコニコドーなどのGMSが同じような運命をたどっている。
(つづく)
<プロフィール>
神戸 彲(かんべ・みずち)
1947年生まれ、宮崎県出身。74年寿屋入社、えじまや社長、ハロー専務などを経て、2003年ハローデイに入社。取締役、常務を経て、09年に同社を退社。10年1月に(株)ハイマートの顧問に就任し、同5月に代表取締役社長に就任。流通コンサルタント業「スーパーマーケットプランニング未来」の代表を経て、現在は流通アナリスト。関連記事
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