2024年12月22日( 日 )

傲慢経営者列伝(3):三菱グループ「御三家」の面々(2)

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 「魚は頭から腐る」という諺がある。組織において問題や不正は上層部から起こり、それが全体に悪影響をおよぼすことを指す。「三菱最強伝説」の崩壊は、三菱グループの頂点に君臨する御三家(三菱重工業、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三菱商事)の長兄に当たる三菱重工から始まった。

「不祥事のデパート」と揶揄された三菱自動車の隠蔽体質

 明治時代に政商から出発して財閥を形成した三菱は、政府から軍備を一手に引き受ける軍需産業として巨大化した。有名な零戦(ゼロ戦)は三菱製だ。

 「三菱は国家なり」。戦後、三菱重工は防衛産業の雄として君臨した。明治、大正、昭和、平成、令和の5代にわたって国家とともに歩んできたというのが三菱のプライドである。スリーダイヤは、大三菱が誇るシンボルマークだ。

 スリーダイヤ崩壊の扉を開けたのは、三菱重工傘下の三菱自動車工業である。三菱自動車は「不祥事のデパート」と揶揄されてきた。2000年にリコール隠し問題が発覚し、その後も02年にトラックタイヤ脱輪による母子3人死傷事故、04年にはまたしてもリコール隠しが発覚した。その都度、指摘されてきたのが、度し難いまでの隠蔽体質だ。

 三菱自動車は1970(昭和45)年4月に三菱重工の自動車部門が分離・独立してスタートした。三菱財閥の創業100年事業としてグループ内に自動車会社をつくったのである。

 三菱グループの自動車生産の歴史は、旧三菱造船(三菱重工の前身)が1917(大正6)年につくった国産初の乗用車「三菱A型」にまで遡る。自動車会社としての歴史は欧米のメーカーに比べても遜色はない。だが、三菱重工の一部門であったため、トラック、バスなどの商用車メーカーの性格が強く残り、乗用車では決定的に出遅れた。

 トヨタ自動車、日産自動車の牙城をどうすれば崩せるか。69年に三菱重工3代社長に就任した牧田與一郎氏は大きな賭けに出た。米ビッグスリーとの提携である。三菱自動車が産声を挙げた翌71年に、米クライスラーが15%資本参加した。外資導入をテコにした自動車会社の誕生は三菱が最初である。

三菱グループが「バイ三菱」で支援

三菱車 イメージ    三菱自動車は、三菱グループが丸抱えした。御三家である三菱重工は研究・開発、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)は資金、三菱商事は海外展開を担った。顧客はオール三菱である。

 三菱グループ企業の社員は「バイ(Buy)三菱」と称して、三菱車を優先的に購入した。「バイ三菱」とは、三菱各社が率先して三菱グループの製品を買うこと。三菱グループ企業のパーティーでは、キリンビール以外のビールは絶対に出されない。三菱グループの社長会である金曜会だけで29社。その関連会社や取引先まで含めれば約10万社。これらの企業と社員が、三菱自動車のユーザーである。

 最高級車「デボネア」(1999年まで生産)は、三菱グループ企業の本社が集中する東京・丸の内の三菱村でしか走っていない重役専用車だった。三菱自動車から新型車が発売される際には、グループ社員限定の事前発表会が行われた。一昔前までは、スリーダイヤ企業の社宅の駐車場には三菱車以外の車は駐車できないという暗黙の約束もあった。

 トラックの主なユーザーは三菱グループの工場や取引先。乗用車はグループ社員が買ってくれる。営業努力しなくても、毎年一定の売上が確保できた。こうして、三菱グループにおんぶにだっこだから、グループ企業にだけ顔を向けていれば何とかなるという内向きの経営体質になってしまった。

西南戦争で財を成した政商・岩崎弥太郎

 三菱の創始者、岩崎弥太郎は典型的な政商である。三菱商会として海運業に進出していく。最大の官需は1877(明治10)年2月から始まった西南戦争。政府の社船徴用命令を受けた三菱はただちに、これに応じた。6万人を超す大兵力と、そのための軍需品を三菱が迅速に運んだことが政府軍が西郷隆盛軍に勝利した大きな原因となり、この勝利によって三菱は莫大な利益を得た。

 弥太郎は海運業で得た利益を基にさまざまな事業の多角化に進出したが、最も重要なものは高島炭鉱と長崎造船所である。三菱が後に財閥を形成する母体となった。

 高島炭鉱を買収した弥太郎が次に入手したのが長崎造船所である。明治政府が公布した「工場払下概則」に基づき、工部省は長崎造船局の民間への払い下げを決定。84(明治17)年、弥太郎が貸し下げ先と指定された。弥太郎は長崎造船局を借り受け、長崎造船所と命名して造船事業を本格的に開始した。三菱重工は、この年を創業年としている。

 三菱は造船工場を拡大。民間造船工場中トップの地位を築き、三菱のもう一方のドル箱として財閥形成に大きく寄与した。

(つづく)

【森村和男】

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