【連載】コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生(18)

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 元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。

突然の市長選挙

 それは平成10年(1998)7月下旬のある日、広太郎さんからの一本の電話から始まった。「市長選挙をやることになるかもしれないので、お前1人で準備を始めておいてほしい」と。

 実は前年の暮れ、一緒にお酒を飲んで、僕が「地方分権推進委員会は首長の多選について否定している。地方分権推進委員である桑原市長が4選出馬ということになれば、高齢多選批判は免れない。市長選挙をやるべきだし、勝機もある」と言ったら、「お前が勝手にやれ」とけんもほろろだった経緯があった。

 修士課程も2年目、そろそろ修論の準備をという時期だったが、もちろん快諾した。さっそく毎熊学兄に会って、「しばらく身体を預けて欲しい」と頼んだ。その時点では、毎熊学兄は、僕が公約づくりのほとんどを担うことになるとは思っていなかっただろうし、あちこち連れ回されていて、その延長線ぐらいの気分だったろうと思う。さっそくほかの院生にも声をかけて、まずは型通りにKJ法で、ポストイットに福岡市政の現状や課題を洗い出していった。福岡市から出たばかりの行財政改革大綱や財政白書も読み込み、他都市の先進事例もつぶさにあたった。とくに注目を浴びていた三重県の北川正恭県政の取り組みもしっかり頭に入れた。そして、当時興隆しつつあったNew Public Management(=NPM)→民間経営手法の導入が大きな柱となるのは必然だった。

 当時の僕の心境を「修論」を引用して、紹介しておく。

「衆議院議員選挙に落選し、国政選挙に再起を期していた山崎広太郎氏にとって、市長選挙への転身は政治生命をかけた負けることのできない選挙であった。世間の常識に従えば『勝てるわけがない』ということだったろうが、政策責任者として戦った筆者には必ず勝てるという確信めいたものがあった。その1つはその前年に発生していた自民党パーティ券事件に象徴される『市政の淀み』である。2つ目は市役所の組織のなかでは優れていると思っていた福岡市政や市職員のレベルが、外の世界、他の自治体に比較してすでに後塵を拝しつつあることに気が付いたこと。市民との関わり、情報公開の姿勢など、時代遅れの体質になってきており、市民の信頼を獲得できていないこと。3つ目は、当時の経済情勢は厳しく世情全体に閉塞感があり、現状打破への期待が大きく、福岡市も巨額の市債残高を抱え、市民の不安も大きくなりつつあること。4つ目には、それにもかかわらず、何らの検証も行われず、ましてや地方分権の旗振り役(当時の桑原市長は国の地方分権推進委員会委員)である現職市長が、分権時代にあってはタブーである多選に挑もうとしていること、そして周囲はその環境づくりのため、サミット開催誘致に奔走していたこと。まさに『権力は腐敗する』という言葉が、実感をもちつつあったのである。このことは皮肉にも、山崎市政誕生後、いずれも現職の副議長、総務企画局長の逮捕というかたちで現実化していった。」

 この経緯については、2001年の国際行政学会での論文『Toward New Public Management』(宮本ほか 2001)にも以下のように紹介されている。

「……1996年、山崎は新進党から総選挙に立候補したが、不運にも僅差で落選。1998年に市長選に立候補するまでの間、彼は公職になく、様々な事柄について考え直す十分な時間に恵まれたと思われる。同じ時期、つまり1996年10月から1998年10月までの間、彼の元秘書の一人が福岡市内の大学院で学んでいた。そこで彼は行政学を学び、すぐにNPM、なかでも「行政革命」に深い印象を受けた。1998年初夏、山崎は市長選出馬を決意する。彼の勝利を予想した人間はほとんどいなかった。対立候補の桑原敬一は、元労働事務次官であり、福岡市長として12年務めていたことから負けることはあり得ないと見られていた。山崎にとって勝てる理由は二つしかなかった。ひとつは桑原の多選批判であり、もうひとつは山崎こそが市役所を本当に改革できる人物であるということであった。山崎と元秘書は基本政策の構築にとりかかった。その基本政策がNPMに基づく改革戦略を含むものであったことに不思議はなかった。」(邦語訳:馬場伸一)

(つづく)


<著者プロフィール>
吉村慎一
(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)

『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
https://azusashoin.shop-pro.jp/?pid=181693411

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