【連載】コミュニティの自律経営(61・終)~あとがき

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 元福岡市職員で、故・山崎広太郎元市長を政策秘書などの立場で支えてきた吉村慎一氏が、2024年7月に上梓した自伝『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』(梓書院)。著者・吉村氏が、福岡市の成長時期に市長を務めた山崎氏との日々を振り返るだけでなく、福岡県知事選や九州大学の移転、アイランドシティの建設などの内幕や人間模様などについても語られている同書を、NetIBで連載していく。
 連載の第1回はこちら

※本書の「【第七章】妻の市役所人生大公開」は、筆者の意向により、NetIBへの転載は割愛させていただいております。

あとがき

 この本が手元に届くころには、僕は72歳になっているはずである。僕のビルドゥングスロマンは22歳から始まったので、ちょうど半世紀、50年間を振り返ったことになる。福岡市職員となった22歳から、42歳でいったん退職するまでの20年と42歳から72歳までの30年はまったく別の人生だったような気がする。前半20年は実に平凡に生きた。仕事はそこそこに、スポーツ、麻雀、酒、競馬、ゴルフ、よく遊んだ。そして後半の30年はよく学び、よく働き、懸命に生きてきた。

 42歳が僕にとってのハーフタイム/断絶の時代であり、九州大学大学院での学びを起点に、人生のセカンドカーブが始まった。僕は一貫して人に恵まれてきたが、地方分権、政治改革、行政経営改革、議会改革、対話(ファシリテーション、ダイアログ、コーチング)の学びへと、点と点がつながり始めたのもこの頃だったように思う。フランクルの『夜と霧』のこの一節が大好きである。

 「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない」。

 僕にとっての点と点は、この生きることの問いではなかったかと思う。曲がりなりにも正しく答える義務を果た(そうと)してきたことで、点と点がつながってきたのではないか?というのは自画自賛に過ぎるだろうか。

 間もなく林住期を終え、いよいよ遊行期を迎える。どんな問いが待っているのか、愉しみである。

≪謝辞≫

 僕にとって出版は長年の懸案だったが、その大変さを思うと決断できずにきた。古稀を過ぎ、回顧録をまとめてみたいとの思いはあったが、山崎市政について書き残しておくことが、身近に接してきた僕の責務じゃないかというプレッシャーもありで、気後れしていた。しかし、思いもかけない広太郎さんの急逝もあったからか、ふっとあんまり難しく考えず、自分の回顧録と併せ山崎市政の出来事を思いつくまま並べて見るかという気持ちが湧いてきていた。

 そんな折、面識を得ていた梓書院/取締役部長である前田司さんのオンラインによる出版セミナーに参加し、「自費出版」を知ることとなり、一挙に具体化に足を踏み出すこととなった。ここに改めて、梓書院/前田司さんに、お礼申し上げたい。

 一方、僕は分不相応にかなり広い書斎(地下のアジト)をもっているが、未読の本と整理されない資料で足の踏み場もないほどで、本を執筆するためには、絶望的に散らかる資料の整理と本の始末が必要だった。そこにmyコーチである國弘望、安増美智子ご両人が強制執行をちらつかせながら、71回目の誕生日に合わせた出版構想&アジト再構築発表会を設定してくれたことで、何とか執筆活動開始にたどり着けた。さらにはできた時が完成の時と、悠長に構えていた僕に、期限を決めようと、コーチングの先生/大川郁子さん、学びの仲間の久吉猛雄さんの助言で、俄然集中して取り組むことになった。myコーチと併せ、コーチングの学びのご縁に感謝したい。

 しかし、書き出し早々、利き手の中指を剥離骨折したり、さらには初のコロナ感染、義母や実父の相次ぐ急逝など、想定外の出来事に翻弄されたが、「ジェットコースター人生」の名付け親であり、ある意味伴走者でもあった馬場伸一君の終始一貫、「面白い!」とのメッセージに、書き進める勇気をいただいた。

 さらに、九大大学院時代に講義を受講した縁で知己を得ていたノンフィクション作家の立石泰則さんにはプロとしての的確な指摘のみならず、たびたび激励をいただき、心から感謝申し上げたい。

 そして、まだ一文字も書いていないのに、厚かましく帯の推薦文を依頼した非礼にもかかわらず、快諾いただいた井坂康志さん、コロナ禍において実施された「生き延びるためのドラッカー入門(10回連続講座)」などから、どれほどの気づきと示唆をいただいたか計り知れない。本書は僕の人生の集大成であり、いわば「最後の審判」は井坂康志さんにお願いしたいと決めていた。望外の身に余り過ぎる評価をいただき、心が震え、感謝の言葉が見当たらないほどである。ものつくり大学/真摯さの道をたどって、拙著をお届けさせていただきたい。

 人生はつくづく人との出会いであり、僕は人に恵まれた。この本が、多くのお世話になった方々へのせめてもの返礼になれば幸いである。

 そして、自分のことで精一杯で、顧みることの乏しかった妻/展子と3人の子どもたち(紘一、友里、美紀)この本がせめてもの罪滅ぼしになれば幸いである。

 僕と妻の両親は幸い長寿に恵まれ、4人そろって400歳超えを目指しましょうと言っていたが、義母西田瑛子が23年10月に93歳で、大晦日に満100歳を迎えていた父一馬が24年2月に、2人とも自宅で倒れ急逝してしまった。出版を楽しみにしてくれていただけに痛恨である。2人の御霊に本書を捧げ、残された母/房子と義父/西田眞一郎(ともに昭和3年生まれの95歳)のさらなる長寿を祈りたい。

 最後に、この本の筆を進めるほどに、広太郎さんとの対話が深まった。今さらのように、政治家/人間/山崎広太郎の謦咳に接した思いがする。改めてその出逢いに感謝し、本書を霊前に捧げたい。

(了)


<著者プロフィール>
吉村慎一
(よしむら・しんいち)
1952年生まれ。福岡高校、中央大学法学部、九州大学大学院法学研究科卒業(2003年)。75年福岡市役所採用。94年同退職。衆議院議員政策担当秘書就任。99年福岡市役所選考採用。市長室行政経営推進担当課長、同経営補佐部長、議会事務局次長、中央区区政推進部長を務め、2013年3月定年退職。社会福祉法人暖家の丘事務長を経て、同法人理事。
香住ヶ丘6丁目3区町内会長/香住丘校区自治協議会事務局次長/&Reprentm特別顧問/防災士/一般社団法人コーチングプラットホーム 認定コーチ/全米NLP協会 マスタープラクティショナー
著書:『パブリックセクターの経済経営学』(共著、NTT出版03年)

『コミュニティの自律経営 広太郎さんとジェットコースター人生』
著 者:吉村慎一
発 行:2024年7月31日
総ページ数:332
判サイズ:A5判
出 版:梓書院
https://azusashoin.shop-pro.jp/?pid=181693411

(60)

関連キーワード

関連記事