参院選で躍進の参政党の正体──疑似安倍チルドレン(神谷チルドレン)の大量出現

自民票を食った参政党

 参院選(7月20日投開票)で自公が惨敗し過半数割れとなる一方、参政党が14議席を獲得、大躍進をした。かつて神谷代表と一緒に訪米、国務省を訪ねるなど行動を共にした自民党比例代表候補の杉田水脈・元衆院議員(旧・安倍派)は7月17日、「自民票が参政党に食われている」と危機感を募らせていた。森山幹事長が大阪選挙区の自民党公認候補の応援に駆け付けたときのことだ。

「(厳しい戦いかとの問いに対して)厳しい。みんな厳しいと思う。誰が通るか最後まで分からないと思います」「(参政党が伸びているとの問いに対して)。そうです。多分参政党が取るのは保守派の票なので我々の票が削られていると思う。参政党の考えは、私とほぼ一緒です。それで(自民票が)食われている」

危機感をあらわにした森山幹事長
危機感をあらわにした森山幹事長

    かつて安倍元首相を支持していた人たちが、ごっそり自民党から参政党へと鞍替えしたというわけだ。選挙結果にも明確に現れた。参政党とほぼ同じ立場の自民党右派の自民党比例代表候補は、杉田氏をはじめ現職議員だった山東昭子・元参院議長や和田政宗・参院内閣委員長や「ヒゲの隊長」こと佐藤正久・幹事長代理らが軒並み落選した。7月21日の産経新聞は「自民保守系 安倍政権下の6年前から得票47.5%減 岩盤支持層離反が鮮明 参院比例」と銘打って、次のように解説した。

「20日投開票の参院選の全議席が確定し、比例代表では自民党の保守系候補の落選が相次いだ。単純比較はできないが、主な保守系候補7人の得票の合計を安倍晋三政権下で行われた6年前の参院選と比べると、47.5%の63万票が失われていた。自民の岩盤支持層とされる保守の離反が鮮明となった」

 6年前の参院選で自民党保守系候補に投票した岩盤支持層の多くが今回、参政党に流れたと考えられる。まさに自民票が参政党に食われる結果となったのだ。
参院選全体の帰趨を決める1人区での自民党惨敗も、参政党の躍進抜きには読み解けない。3年前に自民党は29勝3敗と圧勝したのに、今回は14勝18敗と大きく負け越した。6年前と9年前の参院選では、野党がすべての1人区で候補者を一本化して3年前よりも善戦したが、それでも10議席(2019年)と11議席(16年)に止まっていた。

 それに対して参政党がすべての1人区で候補者を擁立した今回、自民党は14勝18敗と負け越した。参政党が自民党岩盤支持層を切り崩すことで、野党系候補の勝率アップに貢献。野党系候補一本化をしても果たしえなかった結果となったのだ。比例が伸び悩んだ立憲民主党だが、選挙区では手堅く勝利、全体として横ばいの結果となったが、参政党の全1人区での擁立がなければ、自民に競り負ける1人区が増えて議席減となっていた可能性が高いのだ。

ただし、参政党躍進が野党にマイナスとなった複数区もある。茨城選挙区(定数2)や福岡選挙区(定数3)で立民の現職が参政党の新人に敗れるという波乱が起きていたのだ。茨城では自民と立民が現職、福岡では自民と公明と立民が現職だったが、両選挙区も現職有利とされたが、そんな“指定席”状態が参政党躍進で崩れてしまったのだ。

桜井候補の応援演説

 自民党岩盤支持層の離反と参政党への流入は、新たな保守政党を急成長させたに等しい。かつて「歴史修正主義者」と批判された“安倍チルドレン”と同様の“神谷チルドレン”が、大量に生み出されたようにも見えるのだ。

 その1人が、茨城選挙区(定数2)で立民現職を抑えて2位に滑りこんだ桜井祥子氏。神谷代表が応援に駆け付けた7月13日の守谷駅前での街頭演説で、歴史修正主義者丸出しの訴えをしたのだ。

「歴史を学び直したら日本は『人種差別を止めよう』と世界で初めて言った国で、アジアの国々はそんな日本を尊敬してくれていて、アジアの独立に日本の兵隊さんも協力して、今も、その頃を知っているおじいさんやおばあさんが『日本人だ』というだけで会いたがってくれて『尊敬している』『ありがとう』と言ってくれる。それを子どもたちに教えてあげましょう」

 隣で聞いていた神谷代表も続いてマイクを握り、こう補足した。

「桜井さんも言っていたけれども、日本が一番最初に『人種差別を止めましょう』と国連で1919年に言った国なのです。それを日本人として誇りに思うのです」

参政党の神谷代表と桜井候補
参政党の神谷代表と桜井候補

    日本の戦争責任や植民地支配を否定するに等しい問題発言にビックリ仰天をした。従軍慰安婦や徴用工だった人が聞いたら「日本人を尊敬するはずがない」とあぜんとし、なかでも植民地支配に苦しんだ韓国や北朝鮮の人たちは怒りを爆発させるのは確実だ。1919年は、日本の差別的植民地支配からの独立を求める3.1運動が起き、日本が弾圧(虐殺事件も起きた)した年でもあったのだ。国際機関で人種差別撤廃の提案をする一方、隣国では差別的植民地支配を続けるために虐殺・弾圧をしていたのだ。口先では「人殺しを止めよう」と言いながら隣人殺しをしていたような言行不一致であり、「1919年は日本人にとって恥ずべき年」と記憶するのが普通だ。

 しかし、神谷代表も桜井候補(当時)も、国際機関での人種差別反対提案(きれいごと)だけに目を向け、隣国での蛮行(独立運動弾圧)を無視したのだ。「日本人の誇り」を感じる都合の良い部分だけを切り取り、「日本人の恥」となる不都合な真実を隠蔽しようとしているに等しい。「木を見て森を見ず」とはこのことで、参政党は視野狭窄(きょうさく)的歴史観の持ち主ともいえるのだ。

神谷代表に質問

 こんな思いを抱きながら、街宣後の囲みで神谷代表を問い質した。「戦争責任や植民地支配を桜井候補がして神谷代表も同意していたが、従軍慰安婦や強制連行や徴用工の問題は否定するのか」と聞くと、神谷代表は次のように答えた。

「従軍慰安婦は部分部分ですよね。そういったかたちで言っている人がいる。それが強制的であったのかどうかというような議論があるから、短い時間で説明すると切り取られてしまうから答えないが、全否定はしない。けれども処女が何十万人も連れて行かれたとかは誇張のデマなので、そういったおかしいところはある。でも、そういった女性がいたことは事実だから、そこは切り分けないといけない」

 直前の街宣では、先の大戦を知るアジアの高齢者は日本人を尊敬と強調、日本の戦争責任を全否定したが、囲みでは戦時下の性被害者である従軍慰安婦の存在は認めたのだ。

 続いて、神谷代表が日本人の誇りと紹介した「1919年の人種差別撤廃の提案」についても「歴史修正主義者と呼ばれても仕方がないのではないか」と質問した。同じ年に朝鮮半島では日本の差別的植民地支配から独立する3.1運動が起きていたからだ。神谷代表はこう答えた。「実際に1919年の国際会議で人種差別撤廃条約をつくろうと(日本が)提案しているわけだから、それは事実でしょう。ただ台湾の方だとか朝鮮の方に差別がなかったのかというと、あったと思う」。

 これを受けて私は「同じ年(1919年)に(日本の植民地支配からの独立を求める)3.1運動が起きた年」とも聞いたが、神谷代表は「まあまあ、それぐらいで」というだけで質疑応答を打ち切った。国際機関で差別撤廃を提案する一方で、隣国で差別的植民地支配を強行した日本の言行不一致について、神谷代表は回答を拒否したともいえるのだ。

 都合の良い部分だけを切り取って日本人賛美につなげるペテン論法は、歴史修正主義者で日韓関係を悪化させた安倍元首相と瓜2つだ。大躍進をした参政党には、安倍元首相と同様、戦前回帰につながる危うい本性をもっているのだ。参院選後、すぐにスパイ防止法の制定に動き出した参政党から目が離せない。

【ジャーナリスト/横田一】

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