元木昌彦

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平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(8)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(8)
フライデー編集長は森岩弘。雑誌全体の流れを掴むのには進行係がいいだろうといわれた。まあそうだろうなと了解した。進行表をつくり、毎朝、各担当者が間違いなく入稿したかを確認して、印刷所に送る仕事である。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(7)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(7)
講談社はオーナー企業である。上場はしていない。小学館、新潮社もそうだが、菊池寛がつくった文藝春秋はそうではない。したがって派閥ができる。オーナー企業は、社長にはなれないのだから、派閥はできないが寵愛人事や発作的人事がまかり通ることがある。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(6)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(6)
今回書くのはカネにまつわる話だが、決して告発しようというのではない。いかに講談社という会社が今とは違って、すべてにおいておおらかだったかを示す証左として書いておこうと思ったのだ。私など到底敵わない編集力や人間力を持った先輩たちがいた。筆頭は牧野武朗であろう。
健康食品 平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(5)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(5)
中西ミツ子は私にこういった。「今の心境ですか?私の人生だから、やらないで後悔するよりも、やって後悔したかった。私も必死だったし、宇野さんも必死だった。計算なんかできなかった。結果は、私にとってもプラスにならなかったけど、あの時やった、そのことに意味があると思っています」
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(4)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(4)
昭和が終わった日のことはよく覚えている。1月7日、土曜日。私は地下鉄東西線「落合」駅から中山競馬場へ行こうとしていた。駅へ降りる前に念のためラジオをつけた。君が代が流れてきた。競馬は中止になった。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 企業・経済 一般
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(3)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(3)
講談社入社以来、平成13年(2001年)に子会社にすっ飛ばされるまで、銀座のクラブや新宿のゴールデン街を含めて、呑み代とタクシー代は一番使った。
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(2)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(2)
お袋にビジネススクールに行くとウソをついて、当時新宿にあったバーテンダースクールへ通い出したのは、大学1年の秋だった。カ…
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(1)
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録(1)
「朝マラは今日の仕事のバロメーター」私が講談社に入って最初に配属された部署、月刊現代で、いきなり編集長に呼ばれて見せられ…
平成挽歌―いち雑誌編集者の懺悔録 一般 企業・経済
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