2024年11月05日( 火 )

怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(22)

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究極の集中タイム、15分間がすべてを決める

kamati 人が一日に本当に集中できる時間は15分間ぐらいだというが、カマチグループ蒲地眞澄会長の朝も、15分間の集中タイムから始まる。グループ内の財務諸表などの数字をすべてチェックし、今の経営状況や今後の事業計画の指示を決定していくための時間だ。この間だけは、誰であろうと何があろうと会長室への入室は一切許されない。TOTO企業並みの医療ビジネス集団、カマチグループの方向性は、この研ぎ澄まされた15分の間に決定される。「とにかく数字に強い」というのが、関係者から見た蒲池眞澄像だ。その後は緊張感も解け、分刻みで訪問者の応対をするいつもの蒲地会長に戻る。

 月に2回は東京へも飛ぶ。すでに述べてきたように、原宿リハビリテーション病院は蒲池会長にとって、「土地代が高い都心に回復期病院の建設は無理」という医師会の常識を覆すことへの挑戦である。医師会の常識を打破することが目的なのではない。常識は壁を1つ突破することによって、真に地域住民が求める新たな「医療」が創出できるか否かへの挑戦なのだ。常に現状は自分の目で確認しておきたいところであろう。「東京都心は人口密度が高いのに、回復期病院がなくて困っているという。だから建てた」というのは、医師としてはごく当然の考えだ。一方、「土地代が高ければ収益を上げられず経営が成り立たない」というのは、経営上当然考えることであろう。そして「無理と思われている場所で経営が成り立つことが証明されれば、今後は地域住民のニーズに応える医療の幅が広がるのではないか」と考えるのも、論理上の矛盾はない。医療ビジネスのすそ野を広げていくためには、最先端医療の研究開発に投資することも必要であろうが、設備投資の限界を超えていくことも必要なのだ。

地域医療は嫌いだと言い放ってはいるものの・・・

harajuku_reha 蒲地会長との対談で、今、思い当たったことがある。それは蒲池会長が「結局、厳しいことが言えるのは、自分だけだと言うことなんだろう」とふと呟いたことだ。医師の指導に厳しく当たってきた、という話題の最中だった。蒲地会長が厳しく人に接するのは、別に医師に対してだけではない。下関カマチ病院時代は、看護学生や准看護師(当時は看護婦)の看護教育に厳しく当たっていた。看護に関する質問を口頭で行い、即答できなければできるまで繰り返す。知識だけでなく、患者への応対の心構えも含めて指導する。なかには泣き出す者もいたようだが、この厳しさゆえに良い看護師に育つ。良い看護師に育てば、別に厳しく当たる必要はない。この姿勢を自分の病院で働く医師にも求めているだけだ。相手に反発されれば議論にもなるが、議論をコミュニケーションの手段と捉えられないタイプであれば相互理解へ到達するのは相当難しい。蒲池会長にすれば、「患者さんのためになるような医療を行えない医師なら要らない」と言えるだけの経営と指導を行ってきたという自信がある。

 それと同じく、原宿リハビリテーション病院の開設は「厳しいことができるのは、自分だけだということなんだろう」という心境なのではないか。「僕は民族のための医療をやる」と断言した蒲池会長。常識の壁の内側で身を縮こまらせているだけでは、民族のための医療を創出するのは不可能だ。世間が地域医療、地域医療と言い出した今、「地域医療という言葉は嫌いだよ」と言うことができるのも、地域住民のためになる医療を追求し続けてきたという自負の表れであろう。

がん治療、女性医療というキーワードで今後の医療をどう変える?

 前にこの連載で、「現在、蒲池総帥の事業戦略の拠点は東京・首都圏に移行している。彼の頭脳には『首都圏拡大をどうするか?』で詰まっているのだ。福岡・北部九州での新大型事業展開は皆無と見られる」と書いた。ところが今、福岡・北部九州でも新規事業計画があるという。「産科医療を強化し、これに合わせて女性を対象とした医療部門を強化させる」。また「がん医療にも力を入れていく」という話も耳にした。この2大事業は巨樹の会ではなく、福岡・北部九州を牛耳る池友会の管轄だ。池友会で膨張すると見られている利益は蓄積に向かうだけでなく、新たな医療ビジネスへの投資に向けられるというわけだ。それを差し引いても資本が蓄積されていくのが、蒲池会長の頭のなかでは計算できているのだろう。原宿リハビリテーション病院については、1年半後ぐらい先の原宿での結果を確認してからでないと安心はできないようだが、それでもまた東京で新たな病院が建つ予定があるという。

 40年の医療ビジネス人生において、医療という分野を一刀両断し、非常識を常識に変えてきた。救急医療しかり、早期リハビリしかり、それにいささか遅れて時代が懸命についてきている。そして都心での大規模な回復期病院開設と、新たな「がん治療」と「女性医療」。ここにはどのような「民族のための医療」へつながる構想が準備されているのだろうか。その猪突猛進ぶりからは、これからも目が離せない。蒲地眞澄会長!!まったく怪物・傑物である。

(了)

<プロフィール>
kamati_pr蒲池 真澄
学校法人福岡保健学院創設者、社会医療法人財団池友会理事長、カマチグループ会長。
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。蒲池家は江戸中期から8代続いた医師の家系で、蒲池真澄で9代目となる。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。東京虎ノ門病院でインターン(1年間)、九大大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部を経て、74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。

 

 

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