2024年11月21日( 木 )

鶏卵最大手イセ食品、会社更生手続きめぐり、親子の壮絶バトル(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 「親子の仲でも金銭は他人」ということわざがある。たとえ血を分けた親子の仲といえども、こと金銭に関しては他人と同様、水臭くなるというたとえ。事業承継をする際に揉める親子は少なくない。鶏卵最大手・イセ食品グループの会社更生法の申請をめぐって親子バトルが勃発。事業継承の難しさを示している。

負債総額453億円で更生手続き

イセ食品 イメージ    「森のたまご」ブランドで知られる鶏卵最大手のイセ食品(株)(東京・千代田区、非上場)は3月11日、自社とグループ会社で飼料などの仕入れについて商社的な役割をはたすイセ(株)(富山県高岡市)の2社が、会社更生手続きに入ったと発表した。負債総額はイセ食品が278億円、イセが175億円で、2社合計453億円。

 2社の株主と債権者から東京地裁に会社更生法を申し立てられ、同日保全命令を受けた。保全管理人には高井章光弁護士が選任され、今後は保全管理人の管理下に置かれ、再建に向けてスポンサーを探すという。コロナ禍でホテル、レストランなどでの「森のたまご」の法人需要が低迷、加えて燃料や飼料の高騰で業績が悪化した。

イセ食品前会長「理解に苦しむ」

 イセグループ発祥の地である富山県のテレビ局、KNB北日本放送(株)(富山市)は3月15日、イセ食品の伊勢彦信前会長(92)が、株主の長男や債権者から申し立てられた会社更生法手続きについて、不服申し立ての抗告をする意向だと報じた。

 会社更生法の適用を申し立てたのは、伊勢前会長の長男の伊勢俊太郎氏(66)が代表を務める株主のISEホールディングス(株)(東京・千代田区)。食品会社のイセデリカ(株)(茨城県龍ヶ崎市)などグループ会社の持株会社だ。債権者は(株)あおぞら銀行である。

 伊勢前会長は、KNBの取材に対して、「会社の経営は順調で、債務超過になったことはなく、取引先に支払いが遅れたこともない。なぜ会社更生法を申し立てられたのか理解に苦しむ」と述べたうえで、裁判所に不服を申し立てる抗告をする考えを示したという。

長男が父親を特別背任罪で告訴か

 父親の伊勢彦信氏がオーナーであるイセ食品グループを、長男の伊勢俊太郎氏が、彦信氏を追放するために会社更生法を申し立てたという異様な展開だ。

 『週刊現代』(22年3月26日号)は「父と息子の『壮絶バトル』に発展の可能性」と報じた。長男である俊太郎氏は彦信氏によって事実上、会社から放逐された。その俊太郎氏はイセ食品の株主となっており、あおぞら銀行とともに会社更生法を申し立てた。

 〈さらに、俊太郎氏が父親である彦信氏を特別背任で訴える「骨肉の争い」にまで発展する可能性も出てきている。
 彦信氏はルノアールなど印象派や尾形光琳など琳派の絵画、現代アートや中国陶器など資産総額1,000億円ともいわれる「イセコレクション」を所有している。今後、裁判所が選任した保全管理人が、美術品の購入に際し会社資金の流用がなかったかを精査する。彦信氏の蓄財術が問われることになる〉

 そう、焦点は「イセコレクション」なのだ。

富山の一養鶏場から出発、日本一の採卵会社に

 伊勢彦信氏はイセグループの創業者で、鶏卵業界で知らぬものがいない「怪物経営者」だ。1929(昭和4)年5月5日、富山県生まれ。旧制富山県立福野農学校(現・富山県立南栃福野高校)を卒業、父親の伊勢多一郎氏が1912(明治45)年に創業した伊勢養鶏人工孵化工場に入社した。

 戦後、父親から養鶏場を引き継いだ彦信氏は、ヒヨコの育種改良事業から採卵事業へと事業を拡大。転機になったのは、60年代に首都圏の市場を狙って埼玉県鴻巣市に進出し、採卵農場やパック包装工場を設けたこと。

 いまでこそベットタウンとして開発が進む鴻巣市だが、当時は農村地帯。大消費地である東京に近く、事業を飛躍させるには最適な土地だった。首都圏への進出は成功し、全国に拠点を拡大する。

 60年代、零細鶏卵農家がひしめいていた時代に、大規模な採卵農場を建設。委託養鶏の一種「ツリーエッグシステム」を立ち上げ、生産、製造、物流の一貫した流通システムを確立し、大成功を収めた。71年フラワー食品(株)(現・イセ食品)を設立。79年には販売量で、国内ナンバーワンに立った。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

関連記事