2024年11月22日( 金 )

鶏卵最大手イセ食品、会社更生手続きめぐり、親子の壮絶バトル(後)

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 「親子の仲でも金銭は他人」ということわざがある。たとえ血を分けた親子の仲といえども、こと金銭に関しては他人と同様、水臭くなるというたとえ。事業承継をする際に揉める親子は少なくない。鶏卵最大手・イセ食品グループの会社更生法の申請をめぐって親子バトルが勃発。事業継承の難しさを示している。

彦信氏と銀行団が対立

 ジャーナリストの伊藤博敏氏は『現代ビジネス』(3月24日付)に、会社更生法に至る内幕を寄稿している。俊太郎氏とあおぞら銀行が、彦信氏に“引導”を渡すきっかけになったのがイセコレクションだった。

 〈膨大な美術品群は、イセ(株)などグループ会社所有のもの、伊勢氏個人のもの、イセ文化財団などの財団保有のものなど、所有形態はさまざまで、いずれにせよ美術品の処分で負債を軽減することでは合意されていた。

 しかし、債権者の話を総合すると、法人所有と個人所有、担保についているものとついてないものを区分け、処分するのに際し、伊勢氏が「一部の美術品は法人所有ではない」と主張、再調整が行われることになった。そこで、「話が違う」と債権者の批判が噴出、こじれていき、結果的に会社更生法の届け出となった〉

 彦信氏と金融機関の最大の対立点は、美術品の所有形態を巡るものだった。銀行団から美術品を売却し、返済資金を用意するよう勧められたが、彦信氏は「個人の所有だ」として、手放すことはなかった。

息子の放逐は、事業承継問題か

たまご イメージ    このため、彦信氏の長男の俊太郎氏や金融機関は経営体制の抜本的な見直しが不可欠と考え、会社更生法の適用を申し立てた。イセ食品グループを、オーナーである彦信氏から切り離し、新しいスポンサーのもとで再建させるのが狙いだ。

 株主が自身が保有する株式の価値がゼロになる会社更生法を申し立てるのは異例だが、今回は息子が父親を追放するために申し立てた。関係者が仰天したのも無理はない。

 俊太郎氏は1955年、彦信氏の長男として生まれた。青山学院大学を卒業、伊藤忠商事で3年間の武者修行を経て82年にイセファームに入社。28歳でイセファームの社長に就任。その後、イセ食品(株)の副社長として食品メーカーを統括した。グループ会社で事業経験を重ね、92年、イセグループの母体であるイセ(株)社長に就いた。

 俊太郎氏はイセグループが金融機関に支援を要請したのを機に独立。20年2月、持株会社ISEホールディングス(株)を設立。傘下に6社の食品会社をもつ。

 彦信氏と俊太郎氏の間に確執があり、父親が息子を放逐した。銀行団は支援の条件として、彦信氏の後継者を決めて、事業承継することを求めた。銀行団が後継者として想定していたのが息子の俊太郎氏。彦信氏は、銀行と息子の俊太郎氏が手を組んで自分を追い出そうとしていると激怒し、息子を切ったと、業界関係者は受け取った。

 真相は不明だが、引き金になったのは事業承継問題だろう。

イセコレクションの行方は

 彦信氏は、日本を代表するアートコレクターとして知られており、ピカソ、セザンヌ、ルノワールなど印象派から現代の作品まで、フランスの巨匠たちの絵画を中心に陶磁器など幅広く所有。とくに中国陶磁のコレクションは著名であり、17年にはパリの国立ギメ東洋美術館で企画展も開催された。

 また、国内の美術品オークション大手である「シンワオークション」を運営する、Shinwa Wise Holdings(株)(シンワ ワイズ ホールディングス、JQ上場)の14.50%(21年11月末時点)の株式を保有する筆頭株主で、会長を務めるなど、美術界の重鎮である。

 富山・高岡市にあるイセ食品の富山事務所に美術館も併設。イセ食品の会社更生法の手続き開始を受け、地元の富山新聞社に対し、伊勢氏は「売却するか、これから検討する」と答えている。グループ企業からの貸付金で美術品を買いまくった。裁判所が選任した保全管理人が、美術品の購入に際し、会社資金の流用がなかったかを精査し、弁済を求める。おそらく、差し押さえられて競売に付されることになるだろう。国宝級の「イセコレクション」の行方に美術界が注目している。

(了)

【森村 和男】

(中)

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