2024年12月22日( 日 )

福岡・北九州両政令市長を押さえた麻生太郎氏(前)

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福北新時代を演出

北九州市役所    2月28日、12年ぶりに北九州市、福岡市のトップ会談が実現したというニュースが報じられた。武内和久・北九州新市長が就任してから、わずか1週間でのスピード実現であった。会談で武内市長と高島宗一郎・福岡市長は、タッグを組んで「福北新時代」をつくっていくことを宣言した。

 ふたりがトップ会談に至る前の動きをから見てみる。同月20日に北九州市長に就任した武内氏は、翌21日には、北九州商工会議所を訪問し、津田純嗣会頭と約20分間会談を行うなど連日精力的に動き回っていた。会談において武内氏は、「内部改革だけでなく民間の目線が重要」と協力を要請し、それに対して津田会頭は「市長の強みは発信力」と応じ、協力していくことを約束した。

 こうした武内氏の発信にすぐさま反応したのが、高島福岡市長である。2019年の福岡県知事選挙において、自民党福岡県連が推薦した武内氏を応援した高島氏だったが、今回の市長選では、表面上、応援している様子は見られず、動向を静観しているものとみられていた。しかし、武内氏の選挙を支えた三原朝利・北九州市議が「友人を超えた同志」とまで呼ぶ高島市長の意中の人はやはり、武内氏にあったことは間違いないだろう。前北九州市長である北橋健治氏と高島氏とのトップ会談は11年を最後として、約12年間途絶えたままであった。北橋氏は元衆議院議員(旧民主党)で、首長としての政治手法は議会との調整で物事を進めていく従来型のものであったのに対して、高島氏は故安倍晋三元首相や麻生太郎元首相(現・自民党副総裁)ともつながりをもち、トップダウン型で規制緩和を活用する改革手法を好んでおり、ふたりは政治家としても首長としても大きくタイプが異なっていた。

 会談当日、武内、高島両氏はまず、昨年2度にわたる火災で焼失した小倉北区にある旦過市場を訪れた。4月からの仮設店舗での営業再開を目指して工事が進む現場を視察し、復興状況の説明を受けた。その後、小倉城庭園に場所を移した両氏は、今後の北九州市と福岡市の連携などについて会談を行った。会談で武内氏は「北九州市が渦の中心となって周りをどんどん巻き込んで、借りられる力は借りたい、もらえる知恵はもらいたい」と語り、天神ビッグバンなど成長著しい福岡市のノウハウを活用して、人口減少に悩む北九州市を活力ある都市に再生するための取り組みを進めたい考えとみられる。

 興味深かったのは、高島市長が同日、対抗馬を応援していた鷹木研一郎・北九州市議会議長とも会談し、議会に対する配慮を見せたことである。高島氏は昨年11月の福岡市長選でも、かつて対立した自民党市議団と関係を修復し、「山の登り方を覚えた」と選挙後語っていた。一方の武内氏も当選後の記者会見で、武内氏を支援した議員が3人にとどまった市議会(定数57人)に対して、「ノーサイドの精神で対話の機会をもちたい」と語るなど、議会側への配慮も見せていた。武内氏の就任後のさまざまな動きは、早速前市長との鮮明な違いを打ち出して、広報や宣伝に長けたところを見せたといえる。

 高島氏にとって中央政界との重要なパイプであった安倍元首相が昨年7月、凶弾に倒れた。そのこともあり、岸田政権にも影響力が大きい麻生氏とのつながりが高島氏にとってこれまで以上に重要となるが、同じく麻生氏の影響が強い武内氏が北九州市長に就任したことは、高島氏にとって今後有利に働くことになるだろう。

(つづく)

【近藤 将勝】

(後)

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