【特集】嬉野温泉、源泉枯渇危機の原因は「観光客増加」ではない~「嬉野八十八」の大誤算と、JR九州への過剰忖度~

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 1月に判明した嬉野温泉の源泉枯渇危機。その主な原因は「観光客増加」と報道されたが、これに対して一部の温泉事業者は危機感を露わにする。今回の危機を招いた大きな問題が覆い隠され、「観光客増加」が原因とされてしまったからだ。「日本三大美肌の湯」として知られる嬉野温泉に迫った危機の真相を明らかにする。

源泉枯渇の危機 観光客増加が原因?

 1月下旬、日本全国の温泉ファンに衝撃的なニュースが飛び込んだ。日本三大美肌の湯の1つとして知られる佐賀県の嬉野温泉で、源泉水位が低下し枯渇の危機が生じているというのだ。原因として挙げられたのが「観光客の増加」だ。2022年9月に開業した西九州新幹線の嬉野温泉駅の効果やコロナ禍で落ち込んでいた観光客数の回復が影響しているとのことで、対策として一部の施設では温泉使用量の制限や、日帰りでの入浴を休止するなどの措置をとったという。

 1月24日、嬉野市の村上大祐市長らが市役所で記者会見を開いた。市長らは源泉水位低下の原因を、やはり観光客の増加にともなう汲み上げ湯量の増加と、老朽化した配湯管からの漏湯などによると説明した。

 だが、主な原因として「観光客の増加にともなう汲み上げ湯量の増加」との説明がなされたことについて、温泉関係者からは異論が出ている。観光客の増加が源泉枯渇の原因と発表することは、「嬉野温泉はもうこれ以上観光客を受け入れる余地はない」というメッセージを発していると受け取られかねないからだ。だが、異論が出る理由はそればかりではない。嬉野市が源泉枯渇の危機を招いた大きな原因をひた隠しにしたことにある。

原因は観光客増ではない 問題は23年に発生

 では、まず市長が唱える観光客増加原因説を検証してみる。

 1月の各社報道が出た時点では、まだ嬉野市が23年の観光客数を公表していなかったため、各社は「23年の観光客数は統計が残る2000年以降で最多だった17年の207万人を上回る見込み」と報じた。嬉野市が正式に観光客数を公表したのは、市長会見が終わり1カ月経った2月末。発表によると23年の観光客数は224万人で報道は間違いではなかった。だが、同時に明らかになったのは224万人の内訳が、日帰り客172万人、宿泊客52万人ということだ。

 【図】は嬉野温泉全体での1日当たりの揚湯量(温泉汲み上げ水量)の月平均と、日帰りと宿泊の観光客数だ。20年のコロナ禍で激減した観光客数のうち、日帰り客は22年に回復してコロナ禍前を超え、23年にはさらに増加している。だが宿泊客数はコロナ禍前の水準に達していない。一方の揚湯量を見ると、日帰り客がとくに増加した22年9月~23年5月は前年同期の揚湯量とほぼ変わらない。つまり日帰り客の増加は揚湯量に影響がない。24年以降の統計が出ていないため、それ以降の関連は確認できないが、23年まででもさらにわかることがある。

 観光客数が一息ついている23年10月から揚湯量が急激に増加しているのだ。従来、12月前後は2,000t/日程度だったものが、23、24年の12月前後には3,000t/日を超えている。その差はおよそ1,000t/日。23年10月以降、1年を通して増えている。

 実はこの源泉枯渇問題は23年に始まっていた。24年2月にも源泉枯渇の危機が迫ったがそれはもちこたえたものの、翌25年の年明けはさすがにもちこたえられないということで、温泉事業者を監督する佐賀県が年末に揚湯量削減の緊急要請を行い、今回の問題が明るみになったのだ。削減要請を受けたのは、嬉野温泉配湯(株)、(株)和多屋別荘、(株)嬉野観光ホテル大正屋、九州旅客鉄道(株)(以下、JR九州)の4社。この4社で嬉野温泉全体の揚湯量の約9割を占めるためだ。

最高級ホテル『嬉野八十八』36部屋で1,000t消費

JRグループが運営する『嬉野八十八』
JRグループが運営する『嬉野八十八』

    では、揚湯量が急増した23年10月に何があったのか。このときJR九州グループが運営する『嬉野八十八(やどや)』(以下、八十八)が開業している(8月に試泊を実施)。

 各源泉の揚湯量を集計している嬉野市は、事業者別の揚湯量について公開していない。だが、取材によると先の4社の23年からのピーク時のおよその揚湯量と客室数は、嬉野温泉配湯(源泉を持たない旅館への配湯)が1,000t/日、和多屋別荘(129室)が700t/日、大正屋(73室)が400t/日、八十八(36室)が1,000t/日だ。八十八は1室あたり大正屋や和多屋別荘の5倍消費していることになる。いったい八十八とはどのような旅館なのか。

 『嬉野八十八』はJR九州のグループ会社であるJR九州ホテルズアンドリゾーツ(株)が運営する。1泊6万円以上する嬉野の最高級ホテルだ。その売りは全36室「源泉100%かけ流し」である。最高級で全室源泉100%かけ流しとはいえ1人の人間が使える湯量には限りがある。なぜこんなに消費するのか。

源泉をいかに冷やすか バイナリー発電冷却方式

 嬉野温泉の源泉温度は98度ある。入浴に利用するには温度を下げなければならない。そのため差し水する方法もあるが、できるだけ泉質を保ちながら温度を下げる方法として循環ろ過式がある。循環ろ過式は、いったん差し水や自然冷却で適温にした温泉を、衛生面を確保するためにろ過しながら循環させ、適温を保つために少しずつ熱い源泉を足す。すると最終的に適温を保ちながら源泉100%に近い泉質になる。そうはいっても「循環ろ過」より「源泉100%かけ流し」のほうが泉質は優れている。そしてイメージが良い。

 「源泉100%かけ流し」とは差し水も循環ろ過もさせずに源泉100%のまま入浴に使うことだが、問題はどうやって温度を下げるかだ。八十八は、その方法としてバイナリー発電を採用した。源泉から50度分の熱量を発電システムに奪わせて適温にしてから浴場のかけ流しに利用するのだ。発電した電力をホテルで使えばCO2削減もうたうことができる。

 ところが大きな問題がある。八十八はわずか36室。たった36室と露天風呂で消費するための湯量から50度分の熱量を奪うだけでは発電にまったく足りない。というより、発電システムには最低限必要な湯量を常に流し続けなければならない。温泉を利用するほかのバイナリー発電例を見ると、温泉流入量は500L/分(720t/日)以上がもっぱらだ。

 八十八は旧神泉閣の跡地を買い取って建てられた。その際に2つの源泉についても権利を引き継いでいる。2つの自家源泉から湧出する湯量は710L/分。これを24時間フルで運転して揚湯できる量、それが1,000t/日なのである。

適正揚湯量は2,500t/日 稀少な嬉野温泉

 日本は火山列島として知られ日本国中いたるところに温泉がある。だが、温泉が湧出する量はそれぞれに異なっている。たとえば、別府温泉郷は総湧出量12万t/日、由布院は同6万4,000t/日、長崎県の小浜は同1万5,000t/日などだ。それに対して嬉野温泉は2,500t/日。しかもこれは3温泉地が総湧出量(自然湧出と揚湯量を足した量)であるのに対して、嬉野温泉は適正揚湯量だ。つまり、温泉資源を保護するために適正な量が2,500t/日である。嬉野温泉がいかに稀少な温泉であるかがわかる。

 要するにJR九州の八十八が採用したバイナリー発電は嬉野温泉ではまったくのオーバースペックであった。23年10月に営業を開始して以降、バイナリー発電を組み込んだ八十八の「源泉100%かけ流し」システムが、大量の温泉を消費したのである。

源泉所有者会議 議長は嬉野市長

 23年10月に発生した揚湯量の急増という事態を受けて、源泉所有者による会議が23年に始まった。そこで他の源泉所有者たちが知ったことは、配湯会社で大量の漏湯が発生していることと、八十八がバイナリー発電によって大量の温泉を消費しているということだった。会議では、配湯会社に早急な修繕と、八十八に発電利用の停止を求める声が挙がった。会議には嬉野市も源泉所有者として村上市長が出席しており、議長に就いていた。市長が議長に推挙された理由は、八十八に対する行政としての説得、あるいは事態の取りまとめ役を期待されたものだ。

 だが、八十八の担当者は「佐賀県から許可を得ている」と回答して発電停止に応じようとしなかったという。温泉利用には各都道府県の許可が必要だが、実は佐賀県の条例では温泉使用量や用途は許可の審査基準になっていない。しかし、たとえ許可を得ていたとしても、企画段階におけるJR九州の環境アセスメントが不十分だったことは明らかだ。ただ、嬉野温泉全体の適正揚湯量が2,500t/日ということを知らなかったのは八十八ばかりではない。この会議で初めて知ったという源泉所有者は少なくなかった。

 八十八も何ら対策を講じなかったわけではない。徐々に揚湯量を絞り込んでいる。だが嬉野温泉全体としては危機が迫った24年の繁忙期を乗り越えたため事態の根本的解決は後回しにされた。しかし、事態を憂慮した佐賀県は、8月に温泉源保護のために源泉所有者に対して嬉野温泉全体での削減目標と積極的な取り組みを要請した。だがこれは何ら効果をもつことなく24年の暮れを迎え、4社への削減要請となった。

 1月の報道では、和多屋別荘や大正屋が改善に向けた取り組みを説明し、嬉野温泉配湯は配管漏れについて取材を受けた。市長は実際の原因も経緯も知ったうえで、会見では「観光客の増加による汲み上げ量の増加」と説明した。だが、一連の報道ではJR九州も『嬉野八十八』も一切触れられなかった。

JR頼みがあらわ 嬉野市の過剰忖度

 22年9月、西九州新幹線の武雄温泉駅と長崎駅間が開業した。同線の嬉野温泉駅は鉄道がない観光地・嬉野市にとって長年の悲願だった。だがまだ実情は厳しい。嬉野温泉駅の23年時点の乗車人員は228人/日で推定乗降客数は456人/日。営業開始前に想定していた乗降客数2,100人/日の4分の1に満たない。未着工の新鳥栖駅と武雄温泉駅間の開通によって、乗り換えなしによる博多からの直通実現を望む声は根強い。また、問題となった八十八も嬉野温泉にとって期待の星だ。理由は大企業の発信力と集客力に裏付けられた高級ホテルの進出による嬉野温泉のブランド化である。

 だが、今回の問題では、23年の時点で嬉野温泉全体が大きな危機に陥り、行政の指導が後手に回り、さらに実際の経緯が隠蔽され観光客増加が原因とされた。一連の顛末の背景に、地域で存在感を増す大企業に対する遠慮と過剰な忖度はなかったか。

 最新の情報によれば、八十八も年明け以降、配湯システムの組み換えを行い揚湯量を大幅に削減したという。温泉地をめぐる観光事情が変わるなかでJR九州の存在は頼もしい。だが環境や地域に影響を与える事業計画にあたっては事業者の責任は重大だ。佐賀県が誇る温泉地が真に飛躍するために、JR九州と地元の適切な協力関係が求められている。

【寺村朋輝】

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