身体をもたない知能「AI」(5)AIは芸術家になれるか~偶然、没我、手仕事

福岡大学名誉教授 大嶋仁

AI作品が奪う職業芸術家の仕事

 AIは「人間の仕事を奪う」といわれるが、その影響が顕著に出るのは事務職ではないだろうか。そのほか機械的な作業をしている人たちも、簡単にAIにとってかわられると予想される。比較的影響を受けないのは「クリエーティブ」な仕事をしている人たちだといわれるが、実際はどうだろう。

 「クリエーティブ」といえば芸術家の仕事が最たるものだが、最近ではAIによる絵画や音楽がさかんにつくられ、「市場」に流通できそうな作品が多々出ている。芸術作品として満足できるほどではないにしても、商品的には通用するようなのである。そうした作品が出回れば、確実に「芸術家」を自称する人たちの仕事は奪われる。

 本当にクリエーティブな人はそれでも生き残れるだろう。そういう稀有な人たちの作品は商品化されることはないから、いつまでも衆目には触れないかもしれないが、一部の「通」と呼ばれる人たちに愛好される可能性は残る。そういう状況において、AIの功績ということを考えると、本物の芸術家を偽物から峻別してくれることではないかと思われる。AIには妙な「忖度」がないから、「既得権」といったものへの配慮もない。

芸術と技術はもともと同じだった

 だが、こうした問題は表層的なものであって、その向こうに「AIに芸術は可能なのか」という根本的な問いが控えていることを忘れてはなるまい。この問いは「芸術とはなにか」を明らかにしなければ答えが出ないものだが、これに適切な答えを出すことがそもそも難しい。

 そもそも「芸術」という言葉は、たとえば日本では明治時代になって生まれたものだ。江戸時代までは「匠」とか「巧」で呼ばれた技術しかなかったのである。技術といえば、古代のギリシャ語ではテクネで、これのラテン語訳がアルスである。現代人が「アート」と呼んでいるものは、このアルスの英語化したものであり、それが「芸術」となっているわけだ。従って、もともと「芸術」と「技術」は同じものだったのである。

 しかしながら、その「芸術」の意味が近代になって変わった。近代社会の前近代社会との違いの1つが「個人」の尊重にあるからだ。その変化に応じて、「芸術」は「技術」から脱皮していく。「職人技」を超えた、「個人の独創」を重んじるようになるのである。

 職人は誰がつくっても「似たり寄ったり」のものを生み出す。芸術家はほかの人には真似のできない「独創的」なものをつくり出す。そうなってくると、芸術はAIでは到底歯が立たないものとなるはずである。原則として、AIは芸術家にはなれないということだ。

芸術創造に必要な偶然と没我

 AIが芸術家になれない理由は2つある。1つは芸術創造には「偶然性」が参与しなくてはならないが、それがAIにはできない。なぜなら、AIはアルゴリズムと呼ばれる数学的・論理的必然性に忠実であるため、一切の偶然性を最初から排除しているのだ。

 もう1つの理由は、真の芸術創造には制作者の「没我」が必要となるが、もともとAIには「我」はなく、「歴史記憶」もない。「没我」というと東洋的な響きがするが、西洋の芸術家でも制作時に没我状態になるという話はよく聞く。

 とはいえ、西洋の芸術家の方が東洋の芸術家より「意識的」である可能性はある。西洋の芸術家の方が、自らの「意識」とか「意図」とかに固執する傾向が顕著なのかもしれない。そうであるならば、彼らのAIへの抵抗力は必ずしも強くないことになる。なんとなれば、そういう彼らは、芸術を「数理学」に近づけようという願望から自由になれないからである。ルネサンスに生まれた「遠近法」が、私たちの視角の主観性や偏向を排除したものであり、そこから生まれた絵画がある意味「科学的」であることを思い出したい。

 この問題については、今日の西洋の芸術家がどう思うか聞いてみたいところである。19世紀後半の印象派の画家たちが浮世絵を見て興奮したことと、これは関係するかもしれない。

市場に適応するAI作品

 先にAIによる芸術作品も商品価値はあると述べたが、これはAIがマーケティングをして、どういうものが一般受けするのかを知っておればこそできることである。この種のマーケティングは、芸術家の最も苦手とするものであり、それゆえAIと芸術家は接点をもたない。

 しかし、芸術作品を商品として享受する側にとっては、なにも深い満足感を得なくともよいのであって、適度の快適感が得られればそれでよい。多くのAI作品が巷に出回る所以である。

 たとえば、カフェやホテルの客室などの壁にかかっている絵などは、鑑賞者に強いインパクトを与える必要はなく、むしろ客のくつろいだ気分を邪魔しない程度が「よし」とされる。そのような絵は、おそらく「職業画家」よりAIのほうがうまくやってのけるだろう。したがって、多くの職業画家は失業することになる。

AI時代に残る手仕事

 もっとも、「AIの育ての親」と呼ばれるヒントンは、「弁護士よりは配管工のほうがAI時代を生き延びることができそうだ」と言っている。知的職業よりも、手に職を持つ人の方が有利だというわけだ。そうなると、AIに職を奪われた職業画家も、手に技をもつだけに何とか生き延びられるかもしれない。

 「頭」ではなく「手」を使うことがAIへの対処法であるならば、現在も人類の日常を支え続けている新石器時代の遺産が重要ということになろう。私たちがいう手仕事のほとんどが「新石器革命」の産物だからだ。AIにできないのは、まさに「手仕事」である。そしてその手仕事の延長線上に、芸術がある。

(了)

< 前の記事
(4)

関連記事