下関ゴルフ倶楽部~理事長辞任に山口銀行相談役のカゲ(5)
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福田浩一山口FG社長退任の真相に迫る
「下関ゴルフ倶楽部を愛する会」(住興信世話人)は、2014年10月15日、「ゴルフ半額プレイ」で福田理事長ら4人を提訴したが、そもそもそなぜ裁判にまでなったのか、その原因を掘り下げて調べて見ることにしたい。
話は14年半前のあるできごとから始まるのだ。福田理事長とともに「ゴルフ半額プレイ」で裁判を受けているのは前理事長の田中耕三氏。田中氏は1992年6月、1974年から24年間頭取だった伊村光氏の後を受けて頭取に就任。10年間頭取を務めた後、2002年6月に取締役会長ではなく相談役となり、田原鐵之助頭取が誕生した。
しかし、田中相談役は田原氏が不良債権の早期処理や保険勧誘を巡る第一生命のS女史との癒着など、田中頭取時代の負の遺産処理を急いだことから、自分が頭取時代に登用した組合出身の役員を糾合。2年後の2004年5月21日の臨時決算取締役会議で、田原頭取罷免を画策し、退任に追い込んだのだ。
「NetIB-News」は、この頭取交代劇をモデルに描いた『維新銀行』を2012年3月22日から2013年5月24日まで約1年2カ月にわたって連載。当社児玉社長の勧めにより、全面的に書き改められ、2014年10月15日、「実録 頭取交替」(浜崎裕治著)は講談社から発刊された。「下関ゴルフ倶楽部を愛する会」が福田理事長ら4人を提訴した日と偶然にも同じ日であり、因縁めいたものがあるようだ。
特別取材班は、ある消息筋から「実録 頭取交替」に登場する守旧派と改革派メンバーの推測表を入手した。
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この表から見えるもの
◆田中相談役は1953年(昭和28年)、設立されたばかりの山口銀行従業員組合対策のために、日立製作所から山口銀行に詔勅され、組合対策の責任者として頭角を現し頭取となった。頭取在任中に組合幹部出身者を続々と取締役に登用して、忠誠心を求めたのだ。
◆田原頭取(当時)の推薦を受けて取締役となった野坂文雄氏だったが、田原頭取の罷免に加わり、加藤敏雄専務(北九州銀行頭取)と同様に、田中相談役に忠誠をつくしたことが功を奏し、山口FG専務(もみじ銀行頭取)に昇格。また頭取の座を得たのは、田中氏と同窓の慶大出身で、当時最年少役員の福田浩一氏だった。役員でないのにあたかも法王然たる勢力を築いた田中耕三相談役の指揮の下で、クーデターに加わった当時若手のメンバー3人が、山口FGを動かしていった経緯が読み取れる。
◆守旧派として田中相談役に協力した役員は退任後の今も優遇されているのが分かる。はたして登場人物はどこまで符合しているかは不明だが、「フィクションか?ノンフィクションか?」再度読み返すのも一興なのかも知れない。
(つづく)
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