決して見過ごせない!久留米市のずさんな建築確認(5)~行政訴訟の現実
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公務員に公務員は裁けない
司法(福岡地裁)は、「マンション居住者250名の人命に影響する」ということを理解したうえで、今回の判断を下しているのだろうか。役人至上主義をとり、『官』という同じ立ち位置から、行政を守るための判断を下したのであれば、地震が発生し、人的被害が生じた場合、その責任が問われるべきだろう。少なくとも、被害者の遺族の怒りが裁判官に向かうことは間違いない。
裁判所は、「原告は立証を尽くしていないので危険とは言えない」と、抽象的な言葉で切り捨てているが、原告は十分に立証を尽くしている。裁判所の「立証が尽くされていないから危険とは言えない」という判断は、見方を変えれば「立証が尽くされていないから安全とは言えない」ということでもある。
たとえば、「不審な箱が路上に放置されている」と市民から通報があった場合、行政(役所、警察)は、まず近辺の安全を確認して、不審な箱の中身を調査するはずである。行政として、市民の安全を最優先することは当然である。しかし、「新生マンション花畑西」の場合、原告側の区分所有者が「建物は危険」だと立証しているにもかかわらず、行政である久留米市が安全確認を拒んでいるのだ。この建物の建築確認を行ったのは、他ならない久留米市であり、設計における偽装を見逃していることを棚に上げて、安全確認を拒んでいるのだ。そして、裁判所は法令や規準、客観的事実さえも無視し、強引に無責任な対応に終始した久留米市の主張を認めた判断を下したのである。
裁判所は、主観にもとづき、「立証を尽くしていない」という『役人言葉』を用いて、あいまいな部分を残しつつ、久留米市の責任はないと結論づけた。
法の番人であるべき裁判所が、“久留米市に責任を負わせない”という結論ありきの判決を導き出すために、故意に法令規準を無視した判断を示していることは理解し難い。そこまでして、久留米市を守らなければならない理由は何なのか。司法が、国民の生命や財産よりも、行政の面子を優先するのであれば、もはや「三権分立」とはいえない。マンション居住者250名、そして、同マンションが倒壊した場合、事故に巻き込まれるおそれのある近隣住民は、司法からも行政からも見放された『捨て子』といえるかもしれない。
行政訴訟の多くが、行政よりの判決となる。公務員の行為を同じく公務員の裁判官が裁く。行政訴訟において、行政側が不利になる判決をした裁判官は、出世が厳しくなるという話をよく耳にする。裁判官とて勤め人であり、出世欲があってもおかしくはないが、行政訴訟の判決内容が、裁判官の出世に影響するとなれば問題。公務員の仲間意識が生み出す弊害である。真っ当な判決を出させるために、行政訴訟にこそ裁判員制度を採用すべきである。
(つづく)
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