2024年12月24日( 火 )

山口FG福田会長が退任~下関ゴルフ倶楽部の敗訴が影響?

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 山口、北九州、もみじの3行を傘下に置く山口フィナンシャルグループ(FG、山口県下関市)は5月12日、役員の人事異動を発表した。

 別表の通り、10年近く社長の座に就いていた福田浩一氏は昨年6月、代表権のない会長に退き、後任として吉村猛取締役が社長に昇格した。それからわずか1年で福田氏は山口FG、もみじ銀行及び北九州銀行の取締役を退任。ただ山口銀行会長(代表権なし)には留まることなる。

 NetIB-Newsで「山口FG社長交代の深層に迫る」を2016年6月23日から4回にわたり連載している。そこから今回の役員異動の流れが読み取れるのではないだろうか。

~一部省略~

 また、山口FGでNo.2、No.3の地位を占めていた野坂文雄専務(67)、加藤敏雄専務(69)も退任する。福田頭取が誕生したのは、今から約12年前の2004年5月21日午後1時から開催された山口銀行の臨時決算取締役会議。再任を求める田原鐵之助頭取に対し、今は亡き広田英夫専務(徳山支店長)を中心とする組合三役出身の守旧派が「頭取罷免の動議(クーデター)」を提案。

 当時、山口銀行の取締役は15名。1期2年と日の浅い田原頭取を支持する改革派は6名で、過半数に達していなかった。キャスティングボートを握っていたのは、田原頭取が誕生した02年6月に取締役に選任された加藤敏雄本店営業部長と、03年6月に取締役に選任された野坂文雄取締役福岡支店長の2人(いずれも組合三役出身)だった。

 このなかでも野坂氏を取締役候補に推薦したのは田原頭取だった。野坂氏は守旧派に就くべきか。それとも田原氏につくべきかで悩み、夜遅くまで中洲で飲んでいたといわれるが、結局選んだのは守旧派だった。結果は棄権1、動議賛成8、反対6で、田原氏は取締役再選を否決され頭取を罷免されたのだ。

 福田頭取誕生に貢献した野坂取締役は、その功績が大きく評価され、もみじ銀行頭取に抜擢されるとともに、山口FGでは年長の加藤専務を抑え、福田社長に次ぐNo.2のポストを獲得したといわれている。山口FG誕生から10年が経過。山口銀行・山口FGをトライアングルで支えてきた福田氏・野坂氏・加藤氏がトップの座を去ることになる。

 今から12年前にクーデターにより繰り広げられた山口銀行の「頭取交代劇」だが、それをモデルに当社の浜崎裕治顧問が著したのが『実録 頭取交替』(講談社)である。

 この頭取交代劇を指揮したのは田中耕三相談役で、91歳になる今も毎日出勤していると言われる。この時の守旧派のメンバーである福田浩一氏、野坂文雄氏、加藤敏雄氏。また関係会社のYM証券社長の西原克彦氏も現役であり、その態勢は今も続いていると言われる。

 そんな中で下関ゴルフ倶楽部を私物化したとして、会員有志は2014年10月15日、「ゴルフ半額プレイ」で、福田浩一理事長(当時)と田中耕三前理事長ら4人に対し、社員代表訴訟を山口地裁下関裁判所に提訴。

 2年におよぶ審尋を経て、昨年11月30日に判決が下された。原告側の主張がほぼ認められ全面勝訴を勝ち取った。被告4人にとっては全面敗訴の厳しい判決が下されたのだ。

 NetIB-Newsの「下関ゴルフ倶楽部~福田理事長らに支払い命令」(2016年12月9日付)現在広島高裁に控訴して(2回目の審尋は5月29日の予定)争われているが、勝ち目はないと見られている。福田浩一氏が山口FGの取締役を退任するのは脳腫瘍の手術の影響もあるが、「ゴルフ半額プレイ」での敗訴が大きな原因と見られているのだ。

 福田氏は山口銀行の会長として、田中相談役とともに6階の役員室で引き続き執務することになる。吉村社長には再びクーデターを起こさせることのないよう万全な体制を築いてほしいものだ。

【データ・マックス特別取材班】

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