2024年11月24日( 日 )

家族という名のまぼろし(後)

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大さんのシニアリポート第65回

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 戦前まであった大家族の理念は、戸主を頂点としたヒエラルキーであった。戸主の発言は絶対で、何より「長幼の序」(年長者と年下とには序列がある)を重んじた。これは儒教(儒学)から来ている。「儒教では、身近なところから、徳を段階的に広げることを教えの原理にしている。まず、社会の基本単位としての『家』があり、家の原理を共同体レベルに広げ、さらに国家にまで拡大することで、『徳治政治』が実現できると説く。儒教がときに『家の宗教』とよばれるのもそのためだ。では、家の土台をしっかり固めるには、どうすればいいのか? そこで登場するのが『孝』という考え方だ。『孝』という字が、『老』と『子』とで成ることからでもわかるように、『孝』は本来、老人を養うことを意味していた。つまり、子が親を養い、敬うことが『孝』の基本である」(『日本の三大宗教 神道・儒教・日本仏教』 〔歴史の謎を探る会「編」〕)。

 「儒教がそもそも社会の倫理や規範を整えて理想的な社会を築こうとする思想である」(同)ということを考えれば国家的秩序の維持を最優先させた戦前、「君臣の義」(主君と家臣は正しい義《道徳・倫理にかなっている》で結ばれている)と「長幼の序」とは同義語で、日常生活に深く浸透していた。戦後、生活を営むなかでの価値観が大きく変化した。「大家族制」→「核家族化」へ。そこにはもはや「君臣の義」も「長幼の序」も存在しない。やがて、戦前・戦後を強く生き抜いてきた世代(戦前は家を守り、両親に仕えた)が高齢化し、その子どもや孫たちに親の世話や介護という未体験の負担が重くのしかかってきたとき、核家族化した世代に、「自分の生活を犠牲にしてまで親を看る」という発想が生まれにくい。「次は自分の番」という「順送りの運命」に気づいているにもかかわらず、二の足を踏む。「ぐるり」で起きた二件の救急搬送後の子の親への対応。結果として「子が親を捨てる(棄老)」が誕生するのである。

 気になる数字が出ている。国立青少年教育振興機構が2014年に実施した「高校生の生活と意識に関する調査」がある。「高齢となった親を自分で世話をしたい」と答えた日本の高校生は37.9%で、日米中韓4カ国の高校生のなかで最低だった。トップの中国が87.7%、次が韓国で57.2%、自立しているアメリカでさえ51.9%で半数を超す。ちなみに2004年度調査時での日本は、43.1%だから、10年で5.2%も減少している。

 また、同機構が2015年度に行った調査によると、「自分がだめだと思うことがある」という質問に、日本の高校生の実に72.5%が、「とてもそう思う」「まあまあそう思う」と回答している。同じ質問に、中国の高校生は56.4%、アメリカ45.1%、韓国35.2%となっている。日本の高校生の数字が突出して高い。

 宮台真司(社会学者.首都大学東京教授)が出演する人気ラジオ番組、「荒川強敬 デイ.キャッチ!」の「金曜ボイス」(2018年4月6日放送)で、「自己肯定感の高い人ほど、親を尊敬します。(逆に)低い人ほど親や教師を尊敬できない」と述べた。前出の、「高齢となった親を自分で世話をしたい」の質問に対する日本の高校生の37.9%という数字と、「自己肯定感が低い」と答えた日本人高校生の72.5%という数字を比較してみると、宮代の言葉と見事に合致する。日本の高校生は自己肯定感が低く、将来、尊敬できない親の面倒(介護)を看ることは期待できないということになる。親は元気なうちに「子離れ」を覚悟すべきなのである。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
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