【凡学一生の優しい法律学】日本学術会議委員任命拒否事件(2)
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またも飛び出した橋下徹弁護士の詭弁
橋下徹氏は、菅義偉総理大臣の任命拒否を「当たり前だ」と発言した。そしてその「当たり前」の理由の1つであろう、「推薦がなく勝手に任命したらアウトだが、推薦が出てきたらそれに対して任命拒絶は当たり前だ」という旨の発言をした。
この橋下氏の論理を聞いて「当然である理由」を理解した人がいたら噴飯ものだが、橋下ファンは全員、「当然だ」と付和雷同したことは事実である。当然の理由を述べて当然だと主張する言説ではなく、あまりにもあり得ない「当然の事理」をあたかも当然の理由かのごとく前段に述べて、真の当然の理由はまったく述べず、単に結論として「当然」と断定しているにすぎない。
これに類似した詭弁を、舛添要一氏の政治資金規制法違反容疑を「不適切ではあるが違法ではない」としてヤメ検が闇に葬った事件に見出すことができる。この事件は、「現代に免罪符を再現させた」と後世の史家から評価されるに違いない。
ともに「~だが、~である」という構文の命題である。本来、前半部分と後半の結論との間にはまったく論理的関係がないが、一見すると、論理的関連があるかのように錯覚させる論法である。両者ともに理由なく「任命拒絶は当たり前だ」「違法ではない」と述べているにすぎない。
しかし、橋下氏はさすがに自身の論理の致命的欠陥を意識しており、その手当ての言説として、続いて「霞ヶ関の人事と違って、別の独立組織の人事であるため拒絶した理由ははっきり伝えるべき」と発言した。
「霞ヶ関の人事」つまり公務員人事ではないため、そもそも任命権も拒絶権もなく、あるのは形式的な任命行為だとすべきところを、再び「理由」の必要性の問題にすり替えた。つまり、ここでも「拒絶権の存在は当然」が前提となっている。
しかし、菅総理大臣にはもともと正当な拒絶理由などないことは橋下氏も知っており、よくもまあ、その場しのぎの言説をもてあそぶものだ。事態の進展によっては、「拒絶権は当然だ」との論評が世間の批判を浴びて撤回せざるを得ないかもしれず、そうなった場合の保険をこの詭弁に託しているのだろう。
(つづく)
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