2024年11月20日( 水 )

セントラル・パークの奇跡(前)

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大嶋 田菜(ニューヨーク在住フリージャーナリスト)

 パンデミックが発生してから10カ月が経つ。年を越したと言っても、世界中のコロナの状況は少しも変わっていない。ウイルスとまだ戦い続けなければならないのだ。

 「以前の生活」はどんな風だったのか、もうはっきり思い出せなくなってきたものの、その人生にまた戻りたいという望みだけが強く、しつこくこの身にしがみ付いている。地下鉄やバスに乗らず、会社や学校にほとんど通わないまま、何カ月も経ってしまった。

 しかし、よく考えてみると、昔からずっと変わっていないもののほうが多い。どれほどパンデミックがひどくなっても、自然は変わらないのだ。チリの詩人、パブロ・ネルーダはこう言った。「いくら花を切ってしまっても、春を止めることはできない」と。

 この10カ月間、マンハッタンという大都会の中心にあるセントラル・パークは、人々にとっての平和な隠れ家となっている。春がきても、夏がきても、秋がきても、冬がきても、公園はすばらしい風景をどの市民にも見せてくれている。

 この大きな公園に、東側の79番通りから入ると、すぐ登り坂になっていて、小さな丘にたどり着く。その丘を越すとすぐに、静かな森「ランブル」に至る細道がある。この細道も上り坂だが、途中から急に深い森になる。北国らしい、こんもりした森なのだ。

 樫の木、カエデ、ニレの木、ヌマミズキ、アメリカン・ブラックチェリーなどたくさんの高い樹木が立派に生え茂っている。なかには何百年と古いのもある。ところどころに、ぽつりと大型の岩がそびえ、山のように巨大なのもある。セントラル・パークが19世紀に岩盤の上につくられたことが、それでわかる。その岩盤は今から約10億年前にできたといわれる、世界でもっとも古いものだ。

 上を向けば、リスや鳥に揺すられてかすかに動く林冠が見える。葉っぱの隙間からのぞく空は小さな図形になっている。手を伸ばしたらつかめそうなぐらい小さな三角形や四角形。下を見れば、細道の周りにさまざまな草が繁茂している。細道を進むと森の中心にすぐにたどり着く。しかも、実際には全然遠くないはずなのに、マンハッタンの高層ビルの気配はまったく感じられない。自動車の騒音も、いつもはうるさい救急車のサイレンもここでは聞こえない。リスと250種もいるという鳥の声だけが聞こえてくる。そして、水の音。

 平日の朝に行けば、人がほとんどいない。そのせいか、遠くからでも水の流れが聞こえてくる。その音を追って歩いてみると、ようやく川が見える。かすかにつぶやく細い川は、茂った森のなかで岩や木の幹を横切って流れている。

 夏でも冬でも、水面を浮かんで進むアヒルが見える。渡り鳥もたくさんいるようだ。双眼鏡を目にして珍しいフクロウ、鷹、ファルコン、ゴシキヒワを眺めている団体もいる。ここなら真赤なショウジョウコウカンチョウもよく見えるし、鷹もかなり低い枝に止まるのが見える。あの鋭い目で何が見えるのだろうか。大都会の真ん中に、まさかこんなに茂った静かな森林があるとは嘘のようだ。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 田菜
(おおしま・たな)
 神奈川県生まれ。スペイン・コンプレテンセ大学社会学部ジャーナリズム専攻卒業。スペイン・エル・ムンド紙(社内賞2度受賞)、東京・共同通信社記者を経てアメリカに渡り、パーソンズ・スクールオブデザイン・イラスト部門卒業。現在、フリーのジャーナリストおよびイラストレーターとしてニューヨークで活動。

(後)

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