2024年12月27日( 金 )

東北新社の電波利権、菅首相の天領・総務省との癒着~首相の長男を前面に立て、電波を割り当てる総務省幹部への接待工作をフル回転(3)

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 総務省は菅義偉首相の天領である。(株)東北新社は、首相の長男・正剛氏を前面に立て、電波を割り当てる総務書幹部の接待攻勢に全力投球した。総務省幹部らの接待スキャンダルは、政権を揺るがす事態に発展。総務省が東北新社の衛星放送の認定を取り消すことで幕引きが行われた。この事件で、テレビや新聞が絶対に報道しないことがある。「電波利権」の問題だ。総務省は放送と通信の巨大な「電波利権」を牛耳る官庁だ。その急所をつくことは、「電波利権」の恩恵を浴しているテレビとその親会社の新聞にはタブーなのである。

39歳の田中角栄郵政相がつくった「電波利権」

 1957年、田中角栄氏は39歳の若さで岸信介内閣の郵政大臣に就任した。角栄氏が「電波利権」の生みの親である。旧郵政省の放送免許に抜群の力を振るったからだ。

 このとき、日本のテレビ局は、NHKが11局。民放は日本テレビ、ラジオ東京(TBS)、北海道放送、中部日本放送、大阪テレビの5局しかなかった。他にフジテレビとNET(現・テレビ朝日)に予備免許が下りていたが、放送はまだ始まっていなかった。

 郵政大臣に就任した田中角栄氏は、各県ごとに利権を一本化して、一気に34の地方局に放送免許を出した。いったん、開局すれば、テレビというメディアは巨大な利権を生む。地方局は地元企業のテレビ広告を一手に独占できるだけでなく、ローカルニュース送信によって、情報を意のままにコントロールすることができる。

 72年、首相になった田中角栄氏は、全国のテレビ局を再編成に乗り出した。これは、巨大メディアに成長したテレビを傘下におさめたいという大手新聞社の戦略に応えるものだ。テレビ局は新聞資本の系列に再編された。

 75年、TBSは毎日新聞社のみとなり、TBSの系列にあった大阪のABCがテレビ朝日系列となった。それを機に、日テレと読売、フジと産経、テレビ東京と日経という系列関係が完成した。

 テレビは許認可事業であるから、テレビが政府を批判するのは限界がある。言論の自由を掲げてきた新聞はテレビ局を系列化したため、テレビ同様、政府批判に腰が引けた。電利権を取り上げるのは、天に唾するようなもので、わが身にふりかかる。東北新社の問題で、電波利権に切り込むのを封印した理由だ。

菅氏は総務相時代に、官僚の人事を操り”天領”にした

 総務省は菅義偉首相の天領である。菅政治の特徴は官僚人事への異常な執着にある。これは、総務相時代に官僚を手なつげた成功体験に根差している。

 2005年11月、小泉政権下で総務副大臣に就任。06年9月、前任・竹中平蔵氏から大臣ポストを引き継いで総務相に就いた。このとき、鈴木康雄情報通信政策局長(当時)を総務省ナンバー2の総務審議官(郵政・通信担当)に抜擢した。

 鈴木氏は、NTTコミュニケーションズから受けた接待が露見し、懲戒処分を受けていた。これで役人人生は終わりのはずだったが、救いの手を差し伸べたのが、副大臣になった菅氏である。

 当時の竹中大臣の標的は「郵政民営化」と「NHK改革」だ。抵抗勢力の切り崩しを任された菅氏は、郵政の現場に人脈を持つ鈴木氏を取り込んだ。鈴木氏は、その働きが認められ抜擢された。

 総務相に就いた菅氏の標的はNHKである。「受信料2割値下げ」を打ち出した。これには省内にも異論があった。難色を示したNHKの担当課長を更迭した。異を唱えると、菅氏に飛ばされる。総務官僚は震え上がった。

 菅氏は自分に忠実な官僚は抜擢し、盾突く官僚は切り捨てる。人事で官僚を操る術を総務相時代に会得した。

 総務大臣を離れても、総務省の人事を仕切った。事務次官に引き立てた腹心の鈴木氏を、日本郵政の副社長に送り込んだ。鈴木氏は労組と組んで郵政組織を支配し、「影の社長」といわれた。かんぽ生命の不正勧誘問題を報じたNHK「クローズアップ現代+」に横やりを入れ、菅氏への忠誠心を発揮した。

 安倍政権の官房長官に就いた菅氏は、総務副大臣時代にスタートさせたふるさと納税制度をさらに拡充しようとした。平嶋彰英・自治税務局長は、「自治体の返還金競争をあおる。高所得者を優遇するだけだ」と直言した。そのしっぺ返しで、自治大学校長に左遷された。

人事で官僚を意のままに操るコツを会得した。かくして、総務省は菅氏の天領になった。

(つづく)

【森村 和男】

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