【再掲】2050年代を見据えた福岡のグランドデザイン構想(4)~新福岡空港建設を阻んだ諸問題(前)
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C&C21研究会 理事 下川 弘 氏
前回、新福岡空港の論議には大きく3つの波(タイミング)があったと述べたが、そのいずれも実現には至らなかった。空港建設という国家事業は国、地方行政、地元経済界、地元選出の国会議員などが一丸となって推進していく必要があるが、残念ながらそれぞれの立場でさまざまな問題を抱えていたからだ。2回に分けて諸問題について考察する。
(1)国(国交省)の問題
バブル崩壊後の財政赤字により、国民の間で大規模公共工事に対する不信感が増大した。「大規模公共工事は“悪”である」という論理だ。そのため国は1997年に「公共工事コスト縮減対策に関する行動指針」を打ち出し、これを機に建設投資が一気に減少していった。
さらには、当時の自民党政権の不信任によって、民主党が台頭。2009年には民主党へ政権交代し、同党が掲げる「コンクリートから人へ」のスローガンの下、建設投資はバブル期の半分にまで落ち込んだ。
そうした背景の下で行われた新福岡空港建設をめぐる議論であるため、揉めるのは必至。当時の鈴木久泰・国土交通省航空局長は、新空港建設の財源確保の難しさと、大規模公共工事不要論などの世論に押されるかたちで、パブリック・インボルブメント(PI)手法による検討の早い段階で「滑走路増設案」を支持。PIのステップ4で、「増設新案(滑走路間隔210m)」を誘導したのである。
(2)地元行政の問題
福岡空港問題の本質である「市街地の安全性確保」「今後も続く環境対策費」「24時間利用できない空港」という3つの論点について、国からは「危険性ばかりを強調しすぎると、福岡空港を閉鎖してしまう」ともいわれかねない。
また、「過去の歴史を踏まえた借地料を含む環境対策費を問題にすることは、地元土地組合への配慮が足りない」や「24時間使えないのは、周辺住民の騒音問題に対して最高裁判決に従っているから」という言い分もある。
そのため地元行政としては、新空港を国へ要望するにあたり、「福岡空港の容量限界・過密化対策」という点でしか問題提起ができなかったのである。
(つづく)
<プロフィール>
下川 弘(しもかわ・ひろし)
1961年生まれ、福岡県出身。熊本大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程を修了後、87年4月に(株)間組(現・(株)安藤・間)に入社。建築設計第一部や技術本部、総合企画本部企画部などを経て、99年1月には九州支店営業部に配属。その後、建築営業本部やベトナム現地法人、本社土木事業本部営業部長などを経て、2020年9月から九州支店建築営業部営業部長を務める。社外では99年9月からC&C21研究会事務局長(21年8月から理事)を務めるほか、体験活動協会FEA理事、(一社)日本プロジェクト産業協議会の国土・未来プロジェクト研究会幹事、(一社)防災教育指導協会顧問など数々の要職に就いている。法人名
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