【再掲】2050年代を見据えた福岡のグランドデザイン構想(7)~忘れていませんか?福岡市内での航空機事故
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C&C21研究会 理事 下川 弘 氏
前回、飛行機が市街地上空を飛行することに対する、福岡市民の危機意識の低さについて指摘した。
この過密な福岡空港のオペレーションに対して、国土交通省ならびに航空各社はもちろん、パイロットや整備士、管制官などの方々は、日々安全に運行するために努力されていることであろう。心から頭が下がる思いである。
しかしながら、小さなミスが重大インシデントとなり、大事故につながらないとも限らない。決して不安をあおるものではないが、現実のこととして、これまでに福岡で起きた航空機事故を振り返ってみよう。
a)1951年5月10日、午前8時10分ごろ
福岡市吉塚二又瀬(当時)で、米軍F86ジェット戦闘機が電柱に接触した後、醤油醸造業者の煙突に衝突。墜落炎上し、パイロット1名と住民11名が死亡した。
b)68年6月2日、午後10時48分ごろ
米軍板付基地第313航空師団第15戦術偵察飛行隊所属のRF-4Cファントム偵察機が、当時の九州大学・箱崎地区にあった九州大学の大型計算機電算センターに墜落。乗員2人はパラシュートで脱出した。
c)96年6月13日、午後0時8分ごろ
ガルーダ・インドネシア航空58便が離陸滑走中、右翼第3エンジンが故障。機長が離陸中止を決断したが、すでに機体がもち上がっており、滑走路内で止まりきれずに空港南側道路を越えて墜落炎上した。この事故で乗客3名が死亡し、乗員2名および乗客16名の計18名が重傷、91名が軽傷、消防士52名が火傷を負った。
市街地に落下せず、一般市民を巻き込まなかったことが、不幸中の幸いであったかもしれない。
d)2005年7月12日、午後7時45分ごろ
離陸直後の福岡発ホノルル行きのJALウェイズ58便が、高度約150mでエンジンから炎が噴出。続く午後7時46分ごろには、離陸後の福岡空港から1kmほど北の福岡市東区の住宅街に、複数の金属片が落下した。同機は博多湾上空で燃料を捨てて機体を軽くした後、福岡空港に引き返して緊急着陸した。乗客・乗員229名は全員無事だったが、落下した金属片が当たった2名が軽いけがをした。
そのほかに福岡市東区では、数センチほどの大きさの金属片が多数落下し、車のフロントガラスや商店の屋根、小中学生がサッカーをしていたグラウンドにも落下した。
e)19年12月19日、午前9時50分ごろ
福岡発羽田行きの全日空246便ボーイング767-300型の右エンジンにトラブルが発生し、福岡空港に引き返す緊急着陸の要請が管制官にあった。国土交通省福岡空港事務所によると、同10時15分ごろ緊急着陸した。乗客・乗員計278人に、けがはなかった。
エンジン出火により緊急着陸したANA246便の新聞記事(出典:西日本新聞)
(つづく)
<プロフィール>
下川 弘(しもかわ・ひろし)
1961年生まれ、福岡県出身。熊本大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程を修了後、87年4月に(株)間組(現・(株)安藤・間)に入社。建築設計第一部や技術本部、総合企画本部企画部などを経て、99年1月には九州支店営業部に配属。その後、建築営業本部やベトナム現地法人、本社土木事業本部営業部長などを経て、2020年9月から九州支店建築営業部営業部長を務める。社外では99年9月からC&C21研究会事務局長(21年8月から理事)を務めるほか、体験活動協会FEA理事、(一社)日本プロジェクト産業協議会の国土・未来プロジェクト研究会幹事、(一社)防災教育指導協会顧問など数々の要職に就いている。法人名
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