2024年12月29日( 日 )

「音」について考えてみた(後)

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大さんのシニアリポート第112回

サロン幸福亭ぐるり    音楽評論家の黒田恭一氏に、「ドレミファ…音階のシは『スィ』と発音するんだよ。アレは日本語じゃなくイタリア語ですからね」。こう指摘を受けたことがある。それからは「スィ」と発音するよう気をつけているが、どうにも馴染めない。そこには「ドレミ…はイタリア語なのだ」という矜持が見受けられる。

 「若者が日本語を破壊した」という高齢者もいるが、そういう高齢者自身「わゐうゑを」を意識して話している人を私は知らない。小学校で習った万葉仮名が、今では完全に反故にされている現実をどう考えればいいのだろうか。憂いても致し方ない時間の流れ、変化を止める手段は皆無だ。

 運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)に来る高齢の常連たちが話す言葉はいったい何語なのだろうと思う。耳をそばだてて話の内容を知ろうとするのだが、話している言葉そのものが理解できない。常連客の出身地は全国区だ。方言がバンバン遠慮なく飛び出すので、完全に理解することは不可能だ。もっとも会話している仲間同士が、完全に理解しているとは思えない。シビアな話ではないので理解しなくとも、適当に聞いていても肝心の中身を聞き違えることはないのだ。年を重ねるということは、こうしたスキルを磨くことでもある。

サロン幸福亭ぐるり    思うに、高齢者の会話は「オノマトペ」(擬声語、擬音語、擬態語)と思えばいい。「声」ではなく「音」なのである。大半が聴覚障がい者(耳が遠い)である高齢常連客は、身振り手振り付きのオノマトペで会話する。余計な斟酌や微調整は不要なのだ。欧米人並みのボディランゲージをすでに修得しているということになるから、常連客はすばらしい生き物であることは間違いない。QOL(生活の質)が後退しているのではなく、さまざまなスキルを駆使して会話を成立させている。だから進化していると考えた方がいい。

 面白い記事(朝日新聞22年5月31日付)を見つけた。日本語の方言の文法やオノマトペ研究の第一人者で岩手大学准教授の竹田晃子(こうこ)さんは、体の痛みの強さや質を「ズキズキ」とか「ジンジン」といったオノマトペを使うことで、相手(医者など)にうまく伝えることができると具体例を挙げて紹介している。

 「座骨神経痛などの神経痛は『ジーン』や『ビリビリ』といった表現がよく使われていました。オノマトペにはその音と特定のイメージが結びつく性質があります。『ビ』は『周りに広がる』。語末の『リ』は『流れるような動き』。『ビリ』反復には『繰り返される』イメージがあります。関節痛だと『ギシギシ』『ゴリゴリ』など、円滑さが失われているような表現も多い。『ズキズキ』『ズキンズキン』はどの患者でも多く使われます」という。いわれてみればたしかにそうだ。「ズキズキ」や「ズキンズキン」という表現は、おそらく心臓の鼓動と密接に結びついているような気がする。いかがでしょうか。

 オノマトペには方言もあるという。「はかはか」というのは岩手県や宮城県の方言で、息切れや動悸で胸が苦しい様を意味するという。東日本大震災時、被災地に入った医師が患者の痛みの訴えを理解できなかったということから、「被災地で活動する医師の手助けとなるものを」と呼びかけられた竹田さんが、東北の方言を抽出した用例集をつくり感謝されたという。「複雑な痛みのオノマトペと方言ですが、そこには、人間が何に注意を向け、体のどんな状態を伝えたいか、といった思いが具体的に表れています」と述べている。

 オンキヨーがなくなっても、「ぐるり」の常連客のように「高齢者ならではのスキル」を駆使して難局を乗り越えていきましょう。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第112回・前)

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