『脊振の自然に魅せられて』「可憐に咲く希少植物 オニコナスビ」(前)
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福岡市では7月10日から12日まで豪雨が続いた。市の防災システムからもたらされる河川の水位情報や避難命令で、私のスマホは頻繁に着信音が鳴り続いた。
筆者の住む福岡市早良区百道も激しい雨に見舞われた。雨量は私が経験した41年前の長崎大水害(1982年7月23日)と同じであった。通っている天気教室の資料を読み返していると、新聞記事のコピーが出てきた。「五日の明け方からは俄に沛然たる豪雨となっていつ止むとも見えぬ景色であった」。谷崎潤一郎の『細雪』の一節である。まさにその通りの雨の光景であった。
雨が止み、天気も回復した。山でも大量の水の流れは治まったことだろうと推測し、18日火曜日、久しぶりに山へ出かけた。林道や登山道の被害状況の確認と、毎年20日前後に咲く可憐な花、オニコナスビに会うためである。
目指すは脊振山直下の車谷である。道路情報を確認すると、福岡市早良区の椎原バス停前、板谷峠から五ケ谷ダムへ続く県道136号沿線は、荒谷集落周辺の2カ所で土砂崩れのため通行止めになっていた。よって、板谷峠から自衛隊道路を利用し脊振山頂駐車場へ行くことはあきらめた。
道路を右折し椎原集落に入る。車1台が通れる道幅である。集落を抜けたら登山口へ続く林道へ入る。この上部で3年前、大規模な土砂崩れがあり、通行止めになったことがあった。今回の豪雨でもおそらく土砂崩れが発生しているだろうと予測し、途中の杉林の空き地に車を停めた。山道はいくぶん水量が多いだろうと思い、長靴で歩くことにした。もちろん登山靴は用意していた。
長い林道を長靴で歩いた。傾斜のあるコンクリートの林道は大量の水で溢れていた。林道の中間部へさしかかると、はたして、以前大規模崩落のあった場所から小石が散らばり始めている。分岐点を左折した先の林道は土砂崩れが発生しており、ロープが貼られ警告板が下がっていた。林道を直進する。登山口へ続く林道は小石の散乱が続いていた。
登山口の船石橋に到着。脊振の自然を愛する会が整備している大型の登山地図は、豪雨にも負けず無事であった。その傍ら、船石橋のコンクリート製の左右の欄干には、大きな流木が2本引っかかっていた。この橋の高さまで濁流が押し寄せていたのだ。渓谷沿いの登山道へ入ると、渓谷の水は白い激流となって水音が轟いていた。
ひと月も山を歩いてない筆者の体はすっかり鈍り、大汗をかきながら1歩ずつ脚を進める山歩きとなっていた。登りの登山道に対し、太ももから臀部にかけてが、上に持ち上がらないのである。
中間部の沢に来ると、大きな流木が登山道を塞いでいた。渓谷の石に注意しながら流木を乗り越え、二俣の分岐で休憩をとる。ここはいつもの休憩ポイントである。平日ということもあるが、登山道も荒れているので人はやってこない。静かな休憩であった。
ザックから非常食用のケースを取り出す。この日はコンビニで昼食を調達しなかった。ケースのファスナーを開き、一口アンパンを取り出す。5、6日前に山へ行こうと買っていた小粒の薄皮アンパンだが、ザックに入れたまま暑い部屋のなかに置きっぱなしにしていた。未開封であったが、手に取ると何やら青いものが付いた。青カビだ。水に流すのも勿体ないと思い、登山者には見えない石の上に並べた。小鳥や小動物が食べるかもしれないと思ったからである。森で生きる者たちへの、筆者からのプレゼントである。
非常食のケースをさぐると、袋入りの干ブドウが入っていた。こちらはカビは大丈夫であった。この日のエネルギー補給は、スポーツドリンクとこの干ブドウだけであった。ザックのなかにひんやりタオルも入れていた。沢にタオルを入れ、水を絞って首に巻く。火照った体が少し生き返ったようであった。
上部に上がると沢の様子も一変していた。激流で石がすっかり流され、小滝が大滝と化し、きれいな二段滝となっていた。不要なものが何もかも流され、筆者にとってこの上なく魅力ある沢へと変貌を遂げていた。
途中、下ってくる男性とすれ違った。時々見かけるシニアの男性である。「時々、会いますね」と声をかける。脊振山まで登って下る途中らしい。その後も上がらない脚を持ち上げつつ歩き続けた。そうやってようやく「高山植物保護」とロープで囲んである場所に着いたが、そこはすっかり土砂に洗い流され、無惨な場所となっていた。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行関連キーワード
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