2024年12月04日( 水 )

高齢化社会日本における老人の幸せな成仏への道(後)

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ノンフィクション作家 大山 眞人

 『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』など、多くのテレビドラマを手がけた脚本家の山田太一氏が亡くなった。享年89歳。死因は老衰。運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下、「ぐるり」)の常連客の大半が、「死ぬなら“ピンピンコロリ”がいい」という。2番目が“老衰”だ。両方に共通するのは、「死ぬときに苦しまない」というイメージがあるからだろうか。高齢者の幸せな死に方って、本当にあるんだろうか。

再び『PLAN75』の裏に隠されているもの

    『PLAN75』(監督・早川千絵)が、カンヌ国際映画祭で新人監督賞にあたるカメラドールの特別賞を授与された。ただし、これは私が4年ほど前に見たオムニバス版とは別物で、完全リメイク版である。オムニバス版は、映画監督の是枝裕和がプロデュースした『十年 Ten Years Japan』の一作品である。

 『PLAN75』は、超高齢社会を解決するため、75歳以上の高齢者に安楽死を奨励する国の制度である。将来に希望を見い出せない高齢者に、市役所の伊丹(川口覚)が死のプランを勧める。「ただ、膏薬を貼るだけ。痛みも不安もありません。支度金として10万円差し上げます」という。10万円を受け取って笑顔を見せる本人。プランの対象は貧乏な高齢者である。関係部署の課長は、「裕福な高齢者は、消費することで国に多大なる貢献が期待できる。貧乏な高齢者は、国の金を無駄遣いするだけだ」と。生産性の見込めない不要な高齢者を始末する政策である。

 製作意図を早川は、「社会に蔓延する不寛容な空気に対する憤り。これがこの作品をつくるうえでの原動力でした。弱者に対する風あたりはますます強くなり、“価値のある命”と“価値のない命”という思想が、世の中にすでに生まれているような気がしてなりません。他者の痛みに鈍感な社会の行き着く先が、どのような様相を呈するか、『穏健なる提案』を映画で表現してみたいと思いました」と『十年』のパンフレットで述べている。

 実際、映画のように「不要な人間の合法的な処理」のために安楽死が容認されることはないと考えたい。ただ、国家主義を唱える人たち(生産性の認められない高齢者や障がい者は国家のためにならないと考える)のなかには、こうした考えを「個人の自由意志(希望)」というかたちにすり替えて実施する可能性がゼロだとは言い切れない。伊丹は公務員として国の「死のプラン」を最前線で勧誘するだけなのだが、やがてノルマが課せられてくることは容易に考えられる。

孤独死は「緩慢な自殺」

 一方で、国策としての「安楽死」を必要としない「死」が身近に迫っているにもかかわらず、それを認めたがらない人が存在することも事実だ。「孤独死」を結果として自ら選択する人たちのことである。

 「孤独死」を「緩慢な自殺」と定義したのは、阪神・淡路大震災仮設住宅で「クリニック希望」を開設し、住民の健康をバックアップした医師の額田勲である。著書『孤独死』で、「“孤独死”とは単なる『独居死』ではない。いかにも突然死のように世間から受け止められがちだが、実際は自殺などを除けば、慢性疾患によって長い期間苦しみ続けた帰結である場合が圧倒的である。独居、傷病、貧困というサイクルに巻き込まれ…」と「緩慢な自殺」の原因をあげる。実際に「孤独死予備軍」と呼ばれる人たちが存在していて、さまざまな要因を抱えながら「その日の来るのを待つ」人が確実にいる。まさに「緩慢な自殺」というしかない。

 私が住む公的な住宅にSさんという元スタジオミュージシャンがいた。仕事がなくなり、自転車のパンク修理の仕事で糊口をしのいでいた。やがて妻と子どもにも愛想をつかされ、独居に。酒におぼれる毎日。ある日、街角で自転車ごと倒れているSさんに遭遇した。若い警察官がしきりに禁酒と病院での検査を勧めていた。私はSさんに直接聞いた。Sさんは、消え入るような声で「どうしても焼酎を買いたい」といった。そのときの私の本心は、「病院での検査」ではなく、「焼酎を買い与えること」だった。素人目にも、Sさんには回復を願う気力も体力もなかったと思う。私が会った2日後に自宅で亡くなっているのが警察によって発見された。これが「緩慢な自殺」という孤独死なのである。

    「幸せな死に方」について早急に結論を出すことは困難である。家で家族や親しい人たちに見守られながら息を引き取ることがそうなら、病院での死が8割を超す現状ではそれすら難しい。「舞台上で死ぬことが本望」と舞台俳優は言う。それは現役の芸術家にのみ付与された矜持(恰好付け)のように私には聞こえる。会社大好き人間が会社で突然死しても、「幸せな死に方」だとは聞かない。

 先日、近所に住む高齢男性が、グランドゴルフの試合中に突然昏倒。蘇生を試みたが、医師によって死亡が確認された。居合わせた仲間は「ピンコロ」で羨ましいと言った。1人残された妻はその言葉に一時的には癒やされるだろうが、最愛の夫に突然先立たれ、その死を実感することはこの先のことだろう。「今はただただ寂しい」と彼女は口にした。

 「積極的・消極的安楽死」「幇助自裁」「緩慢な自殺」…、死はさまざまなかたちがあるように見えるが、「(自分の意思で)死を選ぶ」選択肢は限りなく少ない。「生き方は(医学の進歩のもと)徹底的に究明されるが、死に方は議論の埒外に置かれている」ことから逃げずに、「死の議論」を積極的に進め、深めるべきだろう。この国では「100歳まで生きること」は奨励するが、一定程度の条件のもとでも「自分の寿命を自分で決めること」は許されないのだ。「死に方」に関しては議論の対象にもならないというなら、そもそも「幸せな死に方」を論じ、結論を導き出すことに意味を見い出せないことになる。「どうする家康」、いや「どうする人間」。

(了)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

1944年、山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家に。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』(文藝春秋)、『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)、『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つ―田村亮子を育てた男』(自由現代社)、『団地が死んでいく』(平凡社新書)、『騙されたがる人たち』(講談社)、『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(共に平凡社新書)など。

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