2024年12月23日( 月 )

【ライバル比較(1)】近代福岡の発展に尽力した太田家の歴史(前)

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 今月4日、元衆議院議員の太田誠一氏が逝去した。太田家は、明治から昭和にかけての福岡経済発展の礎を築いたことで知られる。とくに九州勧業(株)の基盤を作った4代目・太田清蔵氏(誠一氏の祖父)は、福岡市のインフラ整備に尽力した。その清蔵一族は、福岡と東京に分かれ、対照的な道を歩んでいる。

福岡発展の立役者

イメージ    太田家は、醬油や油を扱う福岡藩の御用商人として財を成した。福岡藩時代、中洲を流れる那珂川を挟み、東は博多、西は福岡に分かれ、博多は「商人の町」として、福岡は「武士の町」として、それぞれが特色ある街づくりを行った。

 九州のみならず、全国にみても福岡市の都市成長率は目覚ましいものがあるが、歴史的にみるとアジアの玄関口として古くより交易(商業)が盛んだったことが大きい。

 明治維新後、近代化政策を進める政府により、廃藩置県が行われ、現在の福岡市を中心とした地域は、福岡県となった。博多地域を中心とした福岡市発展の基礎を築いたのが、太田誠一氏の祖父にあたる4代目・太田清蔵と、福岡市中心部の通りに名をのこす渡邉與八郎である。

 太田家は福岡藩時代から油屋を営み、旧家として知られている。一方の渡邉家は、呉服太物屋「紙與」を経営していた。太田家と渡邉家の一族は現在、太田家は博多(九州勧業(株))、渡邉家は天神(紙与産業(株)など)でオフィスビルや駐車場の経営をしている。

 都市成長に不可欠なのは、交通インフラの整備だが、現在の西鉄(西日本鉄道)の基礎となった2つの鉄道会社は、太田・渡邊両氏が大きく関わっている。路面電車の事業化に、最初に着手したのが、当時、博多電灯の取締役を務めていた4代目・太田清蔵であった。清蔵は、1902年に会社の設立願を出している。しかし、この時は、資金調達などが進まず計画を断念している。

 06年になって、福岡市直営での事業化構想が出された。議会も決議するなど紆余曲折を経て、最終的に福岡市は、民間事業者に経営を委ねることを決めた。それが福博電気軌道と博多電気軌道である。

先見の明があった電気事業

 4代目・太田清蔵が代表を務めた博多電灯は、福岡における電気事業者として1896年に設立された。現在の福岡市博多区中洲に60kWの発電機2台を備える火力発電所を建設、翌97年11月より供給を開始し、福岡市内に電灯がともることとなった。

 1909年に設立された福博電気軌道は、東京の実業家・福澤桃介が社長に就任。松永安左エ門が専務取締役、太田清蔵は取締役に就任した。同社は、電車の運行に必要な電力を自社の火力発電所から得ていたが、11年3月に博多電灯と電力需給契約を締結し、自社発電から受電に切り替えた。路面電車の運行、維持には当然、電力の安定供給が不可欠である。4代目・太田清蔵は、時代の先が見えていたと言えるだろう。

 4代目・太田清蔵は、博多電灯の第2代社長に就任したほか、路面電車の事業化を目指した02年には、博多商業会議所の会頭となり、事実上、福岡財界のトップに立つこととなる。

 一方、10年に渡邉與八郎らによって設立されたのが博多電気軌道である。発起人には4代目・太田清蔵も名を連ねている。

 両社の路線は、要所で接続させつつ、それぞれが路線網を広げ、経営母体は変わっても通勤通学の足として福岡市民に親しまれた。

 ちなみに西日本鉄道(西鉄)の社名も、4代目・太田清蔵が命名したものだ。福岡市内の路面電車は、自動車の普及などにより1979年2月に市内全線が廃線となったが、太田清蔵らによって路面電車の事業化が行われたことが、その後の福岡市の発展につながったことは間違いない。

東邦生命など企業再生の父・4代目清蔵

 4代目・太田清蔵は、政治との関わりが深かった。1889年に福岡市制が施行されると最初の市議会議員となり、1908年5月、第10回衆議院議員総選挙に福岡市選挙区から立候補して当選した。衆議院議員を一期務め、政党は、立憲政友会に所属。孫の誠一氏も祖父である4代目・太田清蔵を意識したといわれている。

 4代目・太田清蔵は、電気・鉄道事業以外にも、現在の福岡銀行にあたる第17国立銀行や第一徴兵保険(東邦生命保険を経て、現在、ジブラルタ生命保険)など企業再生に多大な功績を残している。

 なかでも、のちに東邦生命保険となる徴兵保険との関わりは大きい。徴兵保険とは、その名の通り志願制ではなく、徴兵制を採用していた日本において男児を対象としたもので、掛金を満期の徴兵年齢(20歳)まで払い続けると保険金を戻す保険商品である。

 4代目・太田清蔵は社長就任後、経費節減を図るとともに、保険契約も順調に伸ばしていった。その後、徴兵保険は第一徴兵保険に社名を変更。長男の清蔵 (5代目)が、三井銀行などを経て第一徴兵保険に入り、1936年(昭和11年)、社長に就任した。なお、終戦後の1947年に東邦生命保険に改称している。

 4代目・太田清蔵の一族は、5代目の清蔵ら多くが東京に移り住んだ。再建を依頼された東邦生命(第一徴兵保険)の経営に力を注ぐためである。後述するが、福岡に残った一族が、太田家の資産管理や不動産事業を行う九州勧業を営むことになる。

【近藤将勝】

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