子ども食堂を考える(中)
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大さんのシニアリポート第58回
炊飯器、オーブン、その他の備品は社協が用意する。食器類は、「ぐるり」がバザーなどで集めたものを使う。米は社協で用意するが、食材の大半は障害者福祉サービス事業所に委託。厨房(といっても小さなシンクに水道の蛇口、二口ガスコンロ)で調理するには保健所の許可が必要。これが面倒で、「ぐるり」開亭時、保健所と激しくやり合った記憶がある。最近の「子ども食堂ブーム」で、保健所の態度も「料理教室という名目でやるならOK」(許可したとは明言していない)と軟化。そのあたりは曖昧にしたままだ。食事代として子どもひとり100円、大人300円を徴収する。調理はボランティアの女性が中心となり、福祉関係の大学生が実習に来る。食事は基本ご飯と味噌汁、皿に盛られた主菜に漬け物などの副菜。食後に果物やプリンなどのデザート。
初日、食事する光景を目の当たりにして驚愕した。子どもたちの箸の持ち方がデタラメだったり、お喋りに夢中なのはまだいい。茶碗のご飯、皿に盛られた主菜を口にする子がいる一方で、席に座って食事ができない子がいる。好き嫌いが多く、出された食材に不満を口にする子もいる。ご飯に塩を振りかけたり、市販の「振りかけ」を山のようにかける子もいる。それで食べるかというと、放置したまま席から逃げる子。「昔から子どもはみんなそんなもの」という人もいるだろうが、丹精込めて作られた食事が無残にも手つかずのまま、というのは問題だ。「子ども食堂」にくる子どもの多くは、こうした基本的な食事を摂った経験がないのだ。つまり、母親(父親の場合も)がきちんと食事を作り、子どもたちに与えていないのだ。これは「貧困」だけの問題ではない。母親自体、子どものときにいい食事(愛情の込められた)を口にしていないと推測できる。
親が外出時に、テーブルに小銭を置いて出かけるケースが多いと聞く。子どもたちはその金でパンや牛乳を購入せずに、好きな菓子を買って食べる。たぶん親には、食事に対する興味や重要性を意識することがないのだろう。「台所が使用された形跡がなかった」。子ども食堂を利用する母親宅に出向いた社協職員が話した。こういう子は目の前に出された、ごくありふれたメニューに戸惑うのだ。その場に子どもの親が同席することは少ない。だから、ボランティアが作った愛情溢れるメニューを目にすることも少ない。残された(箸のつけられていない)食品は、タッパウエアに詰められて持ち帰られることになる。翌日、それを親子で食するのだろう。何度もこうした光景を目の当たりにして釈然としないものを感じていた。なかには精神的な疾患や病気などにより食事を作ることができない親もいる。多忙な仕事に追われ、子育てに十分な時間を取れない親もいるだろう。参加者の多くはシングルマザーである。年齢も比較的若い。
(つづく)
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。関連キーワード
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