元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(9)東奔西走・インド大陸
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏
(1)バングラデシュの砂糖の国際入札
バングラデシュで砂糖の国際入札が行われることになった。ニチメン(株)・ブラジルから提案を受けたブラジル産砂糖の競争力を高めるため、バングラデシュ産の砂糖用ジュートバッグを見返りに、買い付けの提案をすることになった。
ニチメン・ブラジル・サンパウロ支店、同バングラデッシュ・ダッカ支店、同インド・ニューデリー支店の3カ国コンソーシアムを結成して必勝の体制を敷き、ニューデリーからダッカに飛んだ。空港にはほとんどタクシーが見当たらず、入札が行われるバングラディッシュ農業省へは人力三輪車で入った。バングラディッシュは今でこそマイクロファイナンスの発祥地で、ユニクロ衣料品の主要な供給源として有名だが、当時は人力三輪車が走っている国であったのだ。本命の砂糖ビジネスでは落札できなかったが、ジュートバッグのビジネスは成立し、何とか面子を立てられた。
(2)インド向けに大型農業用トラクター売り込み
当時のインドは食糧自給のためのグリーン・レボリュ-ション(緑の革命)戦略を打ち出し、食糧増産に注力していた。しかし、インドは農業用大型トラクターを国内で製造しておらず、国際入札が行われることになった。
ニチメンは、(株)IHIアグリテックの農業用トラクターを提案することになった。見本トラクターを日本から取り寄せ、デリーの代理店とともにデモンストレーションを行った。IHIの担当者、課長、ニチメン東京の産業機械課の課長補佐、担当者と見本トラクターに乗り込み、ニューデリーからインド北西部のパンジャブ州まで農民や現地州政府に売り込んだ。
大型農業用トラクターは米国が優勢で落札できなかったが、インド農業事情を理解できたという点では、大きな収穫だった。また、IHI担当者と偶然に社宅を訪問したルフトハンザのキャビンアテンダントのご縁が結婚にまで発展したことはせめてもの救いであった。
(3)鉄鉱石輸出港のゴア視察
日本鉄鋼メーカー向けに鉄鉱石の輸出が行われているインド南部の輸出港、ゴアを視察した。ゴアは当時ヒッピーの聖地であった。また、かつてポルトガル植民地であったため、インドでありながら南欧風の赤い屋根の家が連なる独特の雰囲気を有している。サンフランシスコ・ザビエル氏の手が祭ってあるという古い教会を訪問した。フランス系カトリックのラサール高校は、ザビエル氏が日本布教のために最初に上陸した場所が鹿児島であったことから、創設地を鹿児島に決定したと聞いていた。ゴアのザビエル教会で祈りをささげつつ、筆者の出身校である鹿児島ラサール高校との不思議なご縁を感じた。
(つづく)
<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)
鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)関連キーワード
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