元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(13)ニューデリーからリオデジャネイロへ赴任命令
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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏
予期もせぬ連続12年間の海外駐在の要請
イラク・バグダッド駐在、レバノン・ベイルート長期出張、インド・ニューデリー駐在と連続8年間の海外駐在も、ニューデリーでの医薬品原料ビジネスを良き思い出にして、終わりに近づきつつあった。久し振りのニチメン(株)東京本社の勤務を楽しみにしながら、東京・世田谷にある妻の父の会社近くに建設中だった、プール付で抜群の耐震構造を備えた5階建てのマンションの4階の部屋を購入し、帰国する準備を始めた。
年老いた両親に久し振りに会い、親孝行をしたいと日本帰国を楽しみにしていた。ところがある日、東京本社・海外管掌の森田常務から国際電話がかかってきて、「最近ブラジルを訪問された上田社長の指示があり、中川氏のブラジル駐在を希望されている。バグダッド、ニューデリーと連続8年の海外駐在に加え、さらにブラジル駐在を依頼するのは心苦しいが、今回は2年でよいから、ブラジル駐在を受けてほしい」という。
「ブラジルは『21世紀の大国』といわれ、経済発展が目覚ましく、近年のブラジルブームで日本からわずかの間に500社が進出している。我が社もこの機会を活用してブラジル重視政策に転じたため、何とかブラジル駐在を受けてほしい」との要請だった。まさしく晴天の霹靂だった。ブラジル駐在に己の人生をかける決意をした
早速、鹿児島にいる父に連絡した。父は従来、社命には極力従うことを信条としていたが、今回はさすがに疑問を投げかけてきた。「これまで、イラク、インドと灼熱の国で、8年間も苦労をしてきたではないか。本社の指示で海外の東西南北を一兵卒として駆け回るのは、インドで最後にしなさい。そろそろ年齢のこともあるため、本社に帰って管理職としての経験を積むことを真剣に考えよ。そもそも社命に従い、連続8年も海外勤務してきたではないか。子どもの教育のことを考えても、3回の海外連続駐在には反対である」という厳しい意見だった。
私のブラジル勤務要請の背景には、社長がブラジルを訪れたときに、ブラジル総支配人のIが「ニューデリー支店の中川をブラジル官公庁とのビジネス開拓のため、駐在させてほしい」と要請したようだ。Iは機械部出身で、インドネシア支配人時代に同国向け繊維機械の輸出などで大きな実績を上げて、ブラジル総支配人に抜擢されたといわれていた。
私は慎重に熟考した結果、ブラジル転勤に人生をかける決意を父に次のように伝えた。「おそらく今後、南米のブラジル勤務などという話は2度とないだろう。かねがね商社マンとして海外に飛び立ち、海外で活躍することを夢見て、これまで努力してきた。本社での管理職としての出世よりも、私自身は海外での経験を重視したい。父や家族には申しわけないが、社長や海外管掌常務、現地総支配人の希望をくみ、3回目の海外赴任となるブラジル駐在に己の人生をかける決意をした」。
「自分の運命は自分で決めるのならば、反対はしない。悔いのない決断をせよ」と国際電話口で父が力弱くつぶやいたのを、昨日のことのように思い出している。このようにして、私の海外連続12年の最後の舞台となるブラジルでの駐在生活が始まった。しかし前途には、すばらしい多くの人脈とともに、多くの困難も待ち受けていた。
(つづく)
<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)
鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)関連キーワード
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