2024年11月24日( 日 )

元総合商社駐在員・中川十郎氏の履歴書(17)ブラジル・リオデジャネイロ駐在を辞退

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日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏

ブラジル総支配人のI氏からの要請

 南米の新天地であるブラジル・リオデジャネイロでの駐在も1年が過ぎ、ポルトガル語も何とか通じるようになった。家族も半年ぶりに到着し、ブラジル政府関係ビジネスも開拓も徐々に動き出しつつあった。ミナスジェライス州電力公社向けのマイクロウェーブを中心とする世界銀行の国際入札もN社の窓口を取得して参加し、強敵の米国ハリス・コントロール社への対抗策を練りつつあった。

 そんななか、ニチメン・ブラジル総支配人のI氏からサンパウロ本店に呼び出しを受けた。I氏は総支配人社宅に筆者を招き、「駐在から1年が経っても、はかばかしい政府ビジネスの成果が出ていない。あなたは、イラク駐在時には日本車の大規模販売に初めて成功し、インド駐在時にはインド化学品貿易公団向けに日本製医薬品の長期の大型成約に成功したということで、あなたの手腕を評価してブラジル駐在をニチメン社長に要請し、リオデジャネイロにきてもらった。しかし1年経っても結果が出ないため、全力を挙げて実績を上げられるように努力してほしい」と強く要請した。

 このI総支配人の要請に対して、筆者は次のように主張した。

「政府関係プロジェクトのビジネスは、一朝一夕で実績を上げられるほど簡単なものでない。しかも新しい任地で人脈もないところで1から人脈を確立し、相手の信用を得て情報を提供してもらうには1~2年かかる。そこからビジネスに結び付けるまでには、さらに1~2年かかる。I総支配人もインドネシアで政府関係ビジネスも手がけているため、この事情は理解していただけると考えている。もし、早急に政府関係ビジネスを確立せよというならば、私の力では不可能である。そもそも前任地のインド・ニューデリー支店では現地の従業員10名、日本人次長1名、支店長の私の計12名で、2~3年の努力を重ねて政府関係ビジネスを確立した。当時と比べると、リオデジャネイロ支店では現地従業員2名と私の計3名という少人数体制のため、政府関係ビジネスの開拓に苦労している。もう少し時間をいただきたい」

 I支配人は筆者の話を聞いて「とにかく実績を早急にあげよ」という指示を出した。リオデジャネイロに帰る深夜便の機上で、疲労困憊しながらも解決策を熟考した結果、政府関係ビジネスでの早急なる成果を要求するI総支配人とは、ビジネスの進め方、価値観、人生観が違うため、そのような支配人の下で働くのは不可能だという結論に至った。

リオデジャネイロ着任半年で帰国を決断

 イラク・バグダッド、インド・ニューデリーと連続8年間もの海外駐在を経て、帰国を前にしてマンションも購入していたところ、I総支配人から帰国寸前にリオデジャネイロ駐在依頼を無理して受けたにもかかわらず、直ちに実績を挙げてほしいという主張は一方的で結果を急ぎすぎていると感じた。

 筆者は本社に帰国を申請することを決断し、妻に「リオデジャネイロ着任半年で恐縮だが、サンパウロのI総支配人と意見が合わないため、本社人事部に帰国を申請する。了解してくれ」と伝えた。妻は、リオデジャネイロ駐在用の家財道具も到着したばかりで、駐在して半年で帰国するのは親兄弟にも説明がつかないと不満気であったが、何とか了解してもらった。

 すぐに本社人事部に「上司とのビジネスの進め方に意見の相違があり、リオデジャネイロ駐在はできないため、帰国を申請する」と打電した。海外駐在員が任期の途中で、ビジネスの進め方に関して上司と相違があり、この上司のもとでは勤務できないという理由により帰国を申請したことは前代未聞であったという。このような行動は、筆者の社内での勤務評定に大きなマイナスになる可能性があったが、筆者は気にしなかった。

(つづく)


<プロフィール>
中川 十郎(なかがわ・ じゅうろう)

 鹿児島ラサール高等学校卒。東京外国語大学イタリア学科・国際関係専修課程卒業後、ニチメン(現:双日)入社。海外駐在20年。業務本部米州部長補佐、米国ニチメン・ニューヨーク開発担当副社長、愛知学院大学商学部教授、東京経済大学経営学部教授、同大学院教授、国際貿易、ビジネスコミュニケーション論、グローバルマーケティング研究。2006年4月より日本大学国際関係学部講師(国際マーケティング論、国際経営論入門、経営学原論)、2007年4月より日本大学大学院グローバルビジネス研究科講師(競争と情報、テクノロジーインテリジェンス)

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