2024年11月22日( 金 )

視覚障がい者は何を見ているのだろうか(前)

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大さんのシニアリポート第110回

視覚障がい者は何を見ているのだろうか    『目の見えないひとは世界をどう見ているのか』(伊藤亜沙著、光文社新書)を読んだ。伊藤の文章に惹かれるのは、学者でありながら常に現場目線で発言するからに他ならない。今年上梓予定の『瞽女(ごぜ)の世界を旅する 高田瞽女が見た昭和の原風景と村人の情け』(仮題、平凡社新書)に登場する瞽女とは、目明きの「手引き」に導かれ、村々を門付けして歩く盲女の旅芸人たちのことを指す。視覚障がい者の彼女たちが「見た」世界とは何だったのか。

 伊藤は著書の「まえがき」で、「目が見えない人、つまり視覚障害者です。たとえば、足の裏の感触で畳の目の向きを知覚し、そこから部屋の壁がどちらに面しているのかを知る。あるいは、音の反響具合からカーテンが開いているかどうかを判断し、外から聞こえてくる車の交通量からおよその時間を推測する。人によって手がかりにする情報は違いますが、見えない人は、そうしたことを当たり前のように行っています」。

 高田市(現・上越市高田)東本町四丁目に住んでいた瞽女(親方の杉本キクエ、弟子の五十嵐シズ、手引きの難波コトミ)の家は、町家づくり(間口に税金がかけられていたため)で、ウナギの寝床のように奥へ細長くつくられている。灯りとりの窓は入り口と裏口にしかなく、部屋のなかは薄暗い。もっとも目の見えない彼女たちに灯りは不要だ。二灯ある裸電球も往診してくれる医者用だといった。彼女たちは躓くこともなく自由に歩き回る。それは伊藤のいう「足の裏の感触で畳の目の向きを知覚」していることと、慣れだろう。

    こんなことがあった。目が見えないのに、三味線を自在に弾きこなすことが不思議でならないと聞いたことがある。キクエは、「目が見えないと余計なこと考えなくてすむから、三味線を弾くことに集中できる」と。目が見えない人の場合には、抑えるツボは勘に頼るしかない。くり返し練習するうちにツボは身体で覚える。つまり心の目が見えてくるのだ。

 瞽女は「五体不満足」ゆえ、「視覚」を除いた「聴覚」、「味覚」、「嗅覚」、「触覚」(四感)が「五体満足」の人たちより格段に鋭い。その残された「四感」を研ぎ澄ませて「見る」のである。伊藤の言葉を借りれば、「単純に言ってしまえば、見えない人の場合は、視覚以外の感覚をフルに使って、視覚の欠如を補っている、ということになります。見えない人の感覚の使い方を体感していくと、どうも「見る」ということについての私たちの理解のほうが、ずいぶんと狭く、柔軟性に欠けたもの」という。さらに「視覚とは、そもそももっと流動的なものなのではないか。見るために、本当に目は必要なのか」と疑問を投げかける。

 見えない人の色彩感覚にしても、伊藤は「物を見た経験をもたない全盲の人でも、『色』の概念を理解していることがあります。その色をしているものの集合体を覚えることで、色の概念を獲得するらしい。たとえば赤は「りんご」「いちご」「トマト」「くちびる」が属していて「あたたかい気持ちになる色」、黄色は「バナナ」「踏切」「卵」が属していて「黒と組み合わせると警告を意味する色」といった具合です」と。

 瞽女も色を知っている。数え六歳で麻疹を誤診され失明したキクエには、間違いなく見えていた時期があった。椿の赤い花、桜の薄桃色も、空の青さも、両親の肌色も、形も触れることで今でも鮮明に記憶している。鳥が空を飛ぶというイメージだって理解している。

 弱視のコトミは、先祖が鉄砲撃ちだったため、その祟りで弱視として生を得たと信じて疑わない。その目は三十センチまで近づかなければ色もかたちも認識できない。コトミが手引をつとめられるのも、1つは盲女の旅がゆっくりとした歩行であることだろう。

(つづく)


<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)

 1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』(同)など。

(第109回・後)
(第110回・後)

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