2024年11月26日( 火 )

古森義久「安倍晋三氏と日本、そして世界」~追悼セミナー(5)

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 今回は8月1日号、古森義久産経新聞ワシントン駐在客員特派員による「安倍晋三氏と日本、そして世界」を紹介。

拉致問題での国民的評価の高まり

 しかし安倍さんは2006年9月に総理大臣になりました。戦後でも最も若い総理大臣でした。この首相就任への過程では拉致問題での安倍晋三氏の実績が大きかったといえます。私自身はその少し前にたまたま毎日新聞から産経新聞に移ったという経緯がありましたが、毎日新聞時代から北朝鮮政府による日本人拉致事件という犯罪への疑惑や認識は深く持っていました。実は北朝鮮政府が日本人を日本国内で組織的に拉致していたという事実はかなり早い時代から日本側の一部でよく知られていました。しかし日本政府はそれを認めなかった。主要メディアもほとんどが否定していた。マスコミの多くは「北朝鮮当局による日本人拉致事件」というと真正面から否定に回っていたのです。北朝鮮に対してそんな無実の罪となるような非難をするのはとんでもない、朝鮮民族の蔑視だとか偏見だ――という反応が強かったです。だから「拉致問題なんてものはないんだ」という主張をかなりの人たちが述べていました。そういう人たちの実名はみな記録に残っています。しかしいまはそういう人たちの誰もが、そんな発言をしたことをすっかり口をぬぐい、知らんぷりです。左翼の人はどんな誤りを述べても追及されないという実例です。

 こういう流れのなかで安倍さんが拉致問題の被害者の横田滋さん、早紀江さんという人たちの話をよく聞いて、その主張を信じて、一緒に活動していました。このころも私はワシントンにいたのですが、2001年小泉訪朝の前の年に初めて拉致の家族会の代表がワシントンにきて、アメリカ側の支援を求めました。ちょうどそのときに登場してきた二代目ブッシュ政権の大統領が、北朝鮮を悪の枢軸だって断じました。その強硬さに驚いたときに北朝鮮の最高指導者の金正日がアメリカの非難におびえて、日本の援助を期待し、日本人拉致を認めた、そういう展開になったわけです。この時もアメリカ政府が日本政府よりも北朝鮮による日本人拉致問題の解決に対しては、理解を示してくれました。だから横田夫妻らは喜んでいました。そのときの自民党政権の中枢は北朝鮮に対して強固な態度をとれない傾向がありました。そんな状況下で安倍氏だけは自民党中枢の意向に反してまで、拉致被害者の側に密着して、事件の解決への努力をしていました。

 私はその実態を横田夫妻らからワシントンで詳しく聞きました。実は日本側の被害者がアメリカ側の官民の誰と会うべきか、など私も連日のように家族会、救う会の代表たちと会って、私なりの助言をさせていただきました。だからなおさら安倍晋三氏の拉致事件解決への努力を強く認識したわけです。そして小泉訪朝で結局安倍氏が一生懸命やっていたことが正しかったことが完全に証明されました。この展開で安倍晋三氏への国民的な評価が上がったという経緯、これは皆さん記憶されている方が多いと思います。

ニューヨーク・タイムズへの寄稿での安倍氏の実像紹介

 しかし総理大臣になってもなおネガティブな評価が内外では消えなかった。この点、私はアメリカでの安倍氏への評価に関して、ささやかな役割を演じました。安倍総理誕生直後の2006年9月にニューヨーク・タイムズの寄稿ページの編集長から連絡があり安倍晋三新首相について評論を書いてくれと依頼してきたのです。どうしてニューヨーク・タイムズが叩いているのに?と尋ねたら、今まで安倍晋三に関してネガティブなことばかり書きすぎたからちょっとバランスを欠いている、とはっきり向こうが認めたのです。あなたは安倍さんの実態を見ている立場らしいから、客観的なことを結果としてポジティブになるのだろうけれども書いてくれ、というリクエストでした。

 当然ながら私は英語のこの記事を一生懸命、書きました。その寄稿記事はかなり大きく、寄稿面の上段、トップに掲載されました。見出しは“Who is afraid of Shinzo Abe?” となりました。「誰が安倍晋三を恐れるのか」という意味の見出しは1960年代にアメリカで有名になった舞台劇の「誰がバージニアウルフを恐れるのか」を真似た表現でした。この記事で私が強調したのは、まず安倍氏が戦後最初の民主主義で育った総理大臣だという点でした。2番目はやはりアメリカとの協調論者なのだという点です。祖父の岸信介首相の膝に座り、渋谷の南平台の家がデモ隊に囲まれて、安保反対、安保反対という大声が聞こえてくる、そのなかで、自分もつい真似をして安保反対と言ったらお爺さんがやめろって言ったとかね、そういう話をも書きました。やはり彼自身が日本の道はアメリカと協調していくことがいいのだと信じて、育っただろうという指摘でした。

歴史問題での安倍氏の新アプローチ

 3番目は、それまでに出てきたいわゆる歴史問題で、安倍晋三はいままでの日本のリーダーとは違って、ただ謝ることはしないのだという点でした。歴史問題というのは、外務省の方針もあって、私もずっと中国に駐在した際も目撃したのですけれども、安倍政権が登場してくるまでは、戦争に絡む問題で外国の官民がどんな不当な非難を述べても日本側は反応しない、否定もしないという時代が続いてきました。いまから思うと、皆さんそんなことがあったのかと思われる方が多いかもしれませんけれども、実際にそうでした。なんにも否定しない、反論もしないのです。だから私も中国にいてずいぶんこの日本非難にはさらされました。たとえば南京で1カ月に35万人の非武装の中国の民間人が日本軍によって殺されたと中国側は公式に主張します。これを認めない人間は反中だとして糾弾してくる。しかしどう考えても無理な主張です。東京裁判でも南京の当時の人口が20万しかいなかったっていう数字が出たりしているわけですから。

 慰安婦に関しても吉田清治という人物が済州島で日本の官憲が強制的、組織的に地元の女性を大量に捕まえる人間狩りをしていたと証言し、本まで出しました。しかしこれが全部嘘だったと後に判明しました。嘘だということが分かる長い年月、従軍慰安婦という20万人の女性の性奴隷がいた。それら女性は日本の政府あるいは軍が、政策として組織的にそのへんの町や村にいる若い女性たちを強制的に連行した結果だった、という主張が横行していました。つまり日本軍による組織的な強制連行という誤解が、アメリカでも定着していたのです。安倍さんはその誤解に基づいての攻撃の最大の標的になっていました。安倍さんが強制連行はなかったのだ、と述べると、「安倍晋三は従軍慰安婦の存在自体を否定している」という虚構の報道がされていました。ニューヨーク・タイムズがそんな糾弾の急先鋒でした。日系のカナダ人のオオニシという人物が同紙の東京支局長で、そういう安倍叩きをずっと書いていた。

 もっと次元が高い問題として、戦争前の日本はすべて悪だとする態度への対応がありました。戦後の日本では「戦前の日本は悪」という断定が一番人気のあるパラダイムでした。だから君が代もよくないとなるわけです。私なんか正にそういう戦後の教育を受けた世代でした。こういう日本の特殊性もほかの諸国に行ってみて、そのゆがみがわかる。どの国でも自分の国の国旗とか国歌を否定するようなことはないわけです。自国の歴史をすべて悪だとすることもありません。日本の異端はそのあたりでも露骨なのですが、そのことをみんななかなか思っていても言わない。でも安倍さんは率直に指摘したのだといえます。

(つづく)

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