『脊振の自然に魅せられて(番外編)』「久しぶりの九重登山」(後)
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この日は快晴で気温も高く汗ばむほどだった。筆者は、九重は標高が高いので気温が低くなると用心して冬用の上着を着用していた。Jは暑いので上着を脱ぎ半袖にアームカバーをした。ここから急登を登り詰めると「すがもり越」(峠)である。
かつては木造の山小屋があった。黙々と登ってきた登山者は、ここで汗をぬぐい一息ついた場所である。宿泊もできた。記憶では夫婦で経営されたようだ。やまなみハイウェイが完成し登山のスタイルも変わった。日帰り登山も可能になったため閉鎖され、今は石造りの避難小屋となっている(宿泊はできない、風雨を避けるだけである)。
山小屋の最盛期は、長者原ビジターセンターで飼われていたメスの秋田犬「平治(へいじ)」が活躍していた。この犬は登山者に付き添って登ったり、時には遭難しかけた登山者を救出したりしたとも伝えられている。ビジターセンター横に銅像がある。今は知る登山者も少ない。
「すがもり越」は目の前に見えていた。三俣山と硫黄山に挟まれた峠である。岩だらけの登山道をジグザグに進み、やっと「すがもり避難小屋」へ届いた。登山者が数人休んでいた。筆者たちもしばらく休んだ。ここには道迷いに場所を知らせる鐘がある。1人ずつ鐘を鳴らした。
動画カメラのゴープロを小型の三脚に固定し、3人の登山姿を撮影した。5分ほど急登を登り、カメラを撮りに下った。動画撮影は苦労する。標高を上げて行くと、九重連山が見渡せた。左に大船山、中央に九重連山の最高穂:中岳(1,791m)、その隣奥に久住山(1,786m)。眼下に「すがもり避難小屋」が見える。
標高1,700m近くの山々は一度来ると虜になる。とくに6月はじめのミヤマキリシマの咲く時期は全国から多くの登山者がおとずれる。歌手の芹洋子が歌った「坊がつる讚歌」は全国的に有名になった。
三俣山登山は青空を見上げながら急登することになる。足元は多少悪いが三俣山登山の魅力でもある。下ってくる人たちとすれ違う。年齢を聞くと90歳近くの人もいた。
頭が痛くなったとS。軽い高山病である。標高1,500m近くでも高山病の症状が出るのだ。「無理をしないで」と筆者は上方から彼に声をかけた。彼の顔はススキのなかに隠れていて白い帽子だけが見えていた。
Jは先に行っている筈だ。踏みしめられた登山道は何本かあるが、西峰山頂までは道に迷うことはない。筆者はゴープロで撮影しながら西峰へ急いだ。ところどころリンドウが咲いていた。すると携帯電話が鳴った。
休んでいた Sからかと思ったら、何と福岡から脊振の自然を愛する会のメンバーからであった。喘ぎながら登る筆者の声が聞こえていたに違いない。電話の内容は早良区役所との打ち合わせの内容の件だった。静かな山で携帯電話の声が良く聞こえた。
5分歩くと遠目に西峰山頂の標識が見えた。その側で すでに着いていたJが何やらスマホをいじっていた。「やっと着いた!」とゴープロへ筆者の音声を入れた。九重連山を背景に360度、ゴープロを回す。秋空の下、気温が高いので霞んではいたが、すばらしい山々の景色に魅了された。
5分もすると遅れていたSが登ってきた。先に着いていた2人は彼を拍手で迎えた。「よく頑張りました」と声をかけた。最高峰の三俣山が見えていたが、今日は西峰で終わりとした。平面の地にシートを広げ昼食をとる。
好物はそれぞれである。筆者は休憩したときに食べた饅頭やお菓子で腹いっぱいになっていた。少し残っていたコーヒーを2人に振る舞い、しばらくノンビリした。北風が吹いていたが日差しは温かった。
30分ほど休んで下山した。目の目に大船山が見えていた。秋の紅葉が美しい山である。眼下の「すがもり避難小屋」を見ながら急勾配を下る。下り終え、一息ついた。避難小屋の鐘が静かに風に揺れていた。見知らぬ登山者との会話も弾む。そのなかに Jの知人が偶然いた。
長者原の駐車場に午後2時40分に届いた。休憩も入れて5時間30分の山歩きを満喫した。鄙びた温泉で汗を流し帰途についた。すばらしい秋の九重登山であった。
(了)
脊振の自然を愛する会
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