『脊振の自然に魅せられて』「道標メンテナンス作業」(2)
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アゴ坂峠は金山方面、花乱の滝方面と三瀬峠を分ける広い峠で、初夏は新緑が美しく一休みしたくなる場所である。冬は50㎝の雪に埋もれた時もある。道標の方向板のボルトをラチェット(ボルトを締める工具で左右逆方向に締めることができる)で外すと、道標設置に手慣れた副代表 Tがスコップで支柱を折り始めた。
直径80㎝、深さ50㎝ほど掘り古い支柱を取り出した。土に埋もれた部分は随分と腐食していた。外した道標の板は手が空いているものが、スプレーで水をかけ花粉などの汚れをタワシで磨いてゆく。女性 Hは板を丁寧に磨いて行く。彼女は道標作業に初参加だったが、女性らしいきめ細かい作業だった。
スプレー用の水がなくなったので持参した自分の飲み水を補給した。予備の水をペットボトルに入れ持参すべきだった。筆者は健忘症というか、肝心のときに何かを忘れる。木のパーツは見違えるようにきれいになった。
穴を掘り終えると、支柱を固定するため横木を付ける。硬い木材だったので前もってドリルで穴を彫っていた。横木を丸太にネジ釘で固定する。ドリルが古いので力が足らない。何度も挑戦してやっと固定できた。
横木の根がかりは地中に埋めたときに固定の役目をする。15年前の横木も朽ちていたが残っていた。学生たちに工具を渡しドリルや工具の使い方を副代表 Tが教えていた。 Tは(元)電気工事士なので工具の扱いに慣れている。学生たちは動作がぎこちないが楽しそうであった。
方向を示す板をボルトで締めていくと、準備していたボルトが足らなくなった。仕方なく外した古いボルトを使うことにした。副代表Tが外したボルトをポンポン枯葉のなかに捨てたので、枯れ葉と同色の古いボルトを探す。落ち葉をかき分けやっと見つけた。
新しいボルトの数も確認していなかった。筆者には何かが足らない。古いボルトを使ってやっと作業が終了した。立て終わると、道標が生き返った。防腐剤注入済みの支柱に念のため防腐剤を上塗りした。長持ちしてほしいとの願いからである。
登山者が何人か通り過ぎて行った。登山者たちに「道標の作業中です」と伝えた。「ご苦労さまです」と返事が返ってきた。人もあまり来ない峠なのにと思っていたら、この日は勤労感謝の日であった。
峠は風もあり寒気を感じていたので、「昼は何処で食べようか」と学生に問うと、今ここで食べたいとの返事。筆者は日当たりの良い場所で食べようと思っていたが、学生たちは空腹だったのだろう。杣道の散策に行っていた副代表Tたちも戻ってきたので、「食事にしましょう」と声をかけた。
JAワッキーの名物の鳥飯弁当を適当な場所にそれぞれ腰を下ろして食べた。15年前の道標設置時に毎週、毎週この弁当を食べたのを思い出す。副代表 Tも「この弁当よく食ったな」と言っていた。この日、学生2名が欠席したので2人分を彼らに渡していた。
主将 Mは1つ目を食べ終え、2つ目を食べ始めた。体が大きいし若者らしい食欲だった。紅葉に囲まれての贅沢な食事であった。今年の夏には、ここから佐賀方面へ杣道を下って夏エビネを観賞にきていた。もう晩秋かと時を感じる。
食事も終え三瀬峠登山口へと引き返した。昼を過ぎると陽の光も入り紅葉や黄葉が輝いていた。晩秋の静かな山歩きを楽しみながら進んだ。途中、赤い冬イチゴが生っていた。女性Hが学生たちに「食べられるよ」と教え、自ら食べてみせた。学生たちも冬イチゴを取って食べていた。
酸味が強いが美味である。花のない冬場は赤い実が山では目立つ、木々の花も赤い実となっている。自然界から小鳥や小動物へのプレゼントなのだ。50分も歩くと山道で自動車の走る音が聞こえてきた。登山口の三瀬峠は直ぐそこだ。
下り終え、学生たちに気を付けて帰るように伝えて別れた。女性 Hは歩き足らないと、自分の車で別の山へ走り去って行った。10月に雨の黒部峡谷を3日間歩いてきた強者でもある。
帰宅して、学生の主将 Mから「良い体験で充実しました」と、お礼のメールが届いた。3日後の11月26日も作業を控えている。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田友行関連キーワード
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