『脊振の自然に魅せられて』「番外編:北海道・旭川で70代最後のスキーを楽しむ」(前)
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筆者がスキーを始めたのは広島転勤がきっかけの52歳であった。取引先である地元大手のカーショップの社長Mが自社ビルの営業所に「池田さん、スキーをやりましょうや」と、自分のスキー板を担いでもってこられたのがきっかけだった。もう28年も前のことである。そのころ、広島県周辺にはたくさんのスキー場があり、西日本エリアのスキー天国であった。
Mの車で恐羅漢スキー場に通った。Mは筆者と同年齢でバッチテストの2級を目指して熱心に練習をしていた。その姿に刺激され筆者もひたすら練習した。Mの送迎がない日は日帰りスキーバスで通って練習した。スキー場のある麓の集落が50㎝近い雪で覆われた時代であった。
スキーバスは狭い雪道の狭い一方通行の林道をスピードを出して登っていた。この林道は午前中登り専用、午後は降り専用になる。ロードヒーティングもないスキー場への林道であった。下りの林道では毎回、数台の車が雪でスリップし谷に落ちていた。20年経つと温暖化で集落での雪景色は見られなくなった。Mの加入するスキークラブにも加入させてもらい、例会や合宿に参加し指導を受けた。
学生時代にワンゲルでのスキー合宿と、20代の社会人時代に鳥取県大山スキー場で滑ったことはあった。スキーへの願望をずっと抱いていた。52歳で広島市への転勤はスキーを始める絶好のチャンスだった。転勤先で何かを吸収して帰ろうと思った矢先だった。
高齢になってから始めたスキーは上達するまで随分と時間がかかった。下手は、ただ練習するのみであった。スキーができることが嬉しかったし、Mに誘われて始めたスキーは、その後のシニアライフに大いに役にたった。オフシーズンはスキーのためのトレーニングを毎日続けた。これもMの人生哲学「何でも100回練習する」に学んだ。今でもMとは機会があれば、広島のスキー場で時々一緒に滑っている。
56歳で福岡に戻り、自宅から1時間で通える天山スキー場(人工降雪)によく通った。シーズン券を購入し年間30日は滑った。59歳のとき、ここで初めてバッチテストを受けた。夜間のテストであったが、何とか2級に合格した。高齢で受験に合格したのは嬉しいものであった。このスキー場は3年前に閉鎖されたが、当時は賑わっていたスキー場であった。
2級に合格した後、天山スキー場で中学生の修学旅行生や初心者の子ども、大人たち相手にインストラクターやった。時々、九重スキー場の応援、2年前まで福岡県飯塚市にある人工芝スキー場「サンビレッジ茜」でも中学生や子どもたちの団体を指導してきた。朝礼では子どもたちの緊張を柔ようと、自己紹介では「ともちゃんでーす!」と挨拶した。
指導中の休憩時間にはパフォーマンスをして子どもたちと記念写真を撮った。子どもたちにとって修学旅行やスキー学校は一期一会の世界である。「今日のことは一生忘れません」と言ってくれた中学生もいた。10年間で、のべ2,000人は教えた。筆者はスキーの楽しさを教えるのがモットーであった。
バッチテストの1級も受けた。バッチテスト最上級の1級は、受けても受けても不合格だった。1級の壁は高かった。そして68歳でやっと1級に合格した。筆者の性格上どうしても本番で力が入り癖も出る。「決してあきらめない」が役にたった。
北海道スキー合宿
今は、九州では会員数が最も多い福岡スベロー会に所属している。行事部がスキーシーズンの計画を立案するので、都合がつけば参加している。
今年2月22日から26日、北海道・旭川市にあるカムイスキー場の合宿に参加した。福岡スベロー会は80名余の団体であるが、合宿参加は自由である。今回の合宿は、使用する航空会社の予約がそれぞれなので、旭川のホテルに現地集合である。筆者はJALの航空券を6カ月前に予約した。福岡―新千歳(JAL)、新千歳―札幌はJR快速、札幌―旭川は特急を利用。JR北海道の特典往復割引S切符を購入した。
筆者は福岡から旭川まで1人旅であった。昨年、旭川の合宿に参加していたので1人旅の心配はなかった(高齢であるが)。自宅を出てから旭川駅まで移動に8時間もかかった。旭川駅を出るとすでに夕刻で、気温はマイナス8度であった。新しい山靴を履いてきたものの、路面が凍結した雪の上を歩くと滑りそうであった。とにかく九州人にとってはとても寒かった。
最近はスキー場行への荷物郵送は宅急便を利用できるので便利になっている。スキー専用の2m近いロングケースにスキーセット、ウエアー、着替えも入れて宅急便で送るのである。往復送料は約8,000円だが、スキーヤーはリュック1つでスキー場近くのホテルまで気軽に行けるのだ。飛行機にスキー道具を持ち込むと荷物検査の混雑もあり、航空会社によっては持ち込み料金を追加で取られ高い。
夕刻、旭川のホテルに着くと、先着していた参加メンバーたちが筆者の荷物を部屋の前まで運んでくれていた。筆者は参加メンバーのなかで最高齢者ということもあるが、メンバーたちの心遣いに熱いもの感じた。部屋割りを確認して部屋へ入った。同室のNに挨拶する。
(つづく)
脊振の自然を愛する会
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