2024年11月22日( 金 )

30周年を迎え、また超えて(4)基本づくりの時期

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興信所という時代背景の後押しを受け

セールスマン イメージ    会社を起こして30周年。事業を起こす前には鍛錬の時期が必要である。わかりやすくまとめれば、企業調査マンとして20年間、スキルを磨き、満を持して会社独立にこぎ着けたのである。

 1975(昭和50)年1月に東京経済福岡支社で面接をした。当時、企業調査業は興信所、探偵社といった“蔑み”のレベルで見られていた。しかし、一方では「調査会社を敵にまわしたら大事になる」と経営者側からは警戒視されてきた。

 面談して企業調査業務のレクチャーを受けた筆者は、「これは俺にとって天職になるな」と確信した。「経営者と面談してレポートを作成する作業の結果、企業コンサルができるではないか!」と大いに燃えた。面接結果はというと「2月1日から出勤すること」という採用通知をもらった。

 当時の支社長は宮本氏。この方は、筆者にとって、この世界のスキルを習得させてくれた恩人である。26歳で入社したが、年齢が近い同世代は4名程度。大半は50歳を超えた中年・初老の先輩たちだった。筆者は「ここは我が道を貫こう」と誓った。入社当時の先輩格としては4歳上の池田俊一氏が活躍されていた(この人はその後、1992(平成4)年に独立した)。

朝を制する

 入社1週間後から朝は6時半に出社することにした。総務の女性が、ビル4階で生活していた(ビルは東京経済所有)。この女性が宮本支社長へ「今度、入社した児玉さんは出社が早い」と話したようである。入社から20日位して、宮本支社長から「児玉君!君に会社のキーを預けるから、朝のオープン作業は頼むぞ」と命を受けた。こう信頼されれば、こちらも発奮して頑張ることになる。

 「朝を制する者は必ず勝利する」(用意万端であれば成功する)という鉄則は不変なものである。この鉄則を実践した。偉そうに言うのではない。たまたま朝が強かったのだ。学生時代は朝、大学教職員・生協従事者たちへの牛乳配達を行い、それを生活の糧にしていた。配達は午前4時から午前6時までの2時間であった。時間あたりでは、まずまず恵まれたバイトとなったのである。だから早朝の時間はまったく苦にならなかった。

 もう少し業務について説明しよう。午前4時から調査レポートを仕上げる。出社してレポートに欠陥が無いかをチェックする。支障が無ければ審査部に提出する。そこで当日、翌日の調査先の段取りを行った。午前8時から午前8時半にかけて、会議・打ち合わせがある。それを終え、午前9時前後をメドに法務局へ駆け込む。企業の下調べを完了させて午前10時、予約先に企業調査のため訪問する。これには、およそ1時間から1時間半の時間を要する。

 加えるなら、午前中に銀行を訪問できれば最高だ。入社(2月)から1カ月の調査レポートの作成数は24件であったから、1日1件ペースで調査を仕上げるスキルを会得した(当時、土曜日は出社)。午後3時までには帰社することを決めていた。社内では取引先の見解を聞くために電話を掛けまくった。この裏取りを終えたら、レポート作成作業に切り替えた。そして午後5時半までには「お先に」と挨拶して帰宅することにしていた。この行動パターンは、東京経済に在籍した20年間まったく変わらなかった。

45万円のセールス実績を上げる

 入社月に企業調査を24件仕上げたことは報告した。その調査先で4件契約し、金額にして45万円の売上をあげた。最初の契約は10社目であった。このころになると多少、調査取材の要領を覚えてきたから、多少の余裕をもって応対できた。世間話から業界話を知ったかぶりして話し込むことができるようになった。「1時間半話し込めば契約を取れるな」と思い込むようになったが、これは傲慢な錯覚である。

 冒頭に記したように当時、調査される側は本音のところは、うっとうしく思っていたのである。「この若造を泳がせておれば使い道があるだろう」という打算のもとに10万円足らずの付き合いをしてくれただけなのである。筆者としては「新人の俺を信じて、会員になってくれたのだから、この恩は必ず返すぞ」という恩義の念を固めた。2月に会員になってくれた4社とは現在、付き合いはない(大半が廃業・倒産)。しかし、翌3月に会員になってくれた企業2社とは付き合いを継続している。真心を尽くせば50年、半世紀の付き合いができるありがたいビジネスである。

 さて最初の給料(2月分)は、翌月に支給された。給料は12万円、45万円のセールスコミッションから20%の9万円も支給され、合計21万円をもらった。妻・悦子からは「なかなか良い会社ではないですか!直さん、頑張れ」と尻を叩かれた。私自身も「まさしく天職だ」と認識したのである。

(つづく)

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