2024年12月21日( 土 )

30周年を迎え、また超えて(16) バブル崩壊(後)

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銀行の対応が遅れ、ノンバンク淘汰

 1990~91年の福岡においては、東亜住建(福岡市博多区)、西部観光(博多区)など200億円から300億円の負債による倒産が珍しくなかった。しかし、「どういう会社ですかね?」と会社の与信管理担当者から問い合わせが集中したように、これらはあまり知られていない存在であった。不動産関連の方々には周知された会社であったが…。

 また、これらの地上げ業者は、地元銀行からの直借りが極端に少なかった。金融機関がうろたえることが無かったから、話題騒然とはならなかったのである。上記2社の負債総額が200~300億円にまで膨張したのはノンバンクが貸しまくったからである。都市銀行系列から独立系と様々であったが、このノンバンク淘汰が94年まで続いた。その後、実需企業の倒産、銀行の淘汰が本格化したのである。

 そのなかでも地場戸建住宅トップの大蔵住宅(福岡市中央区)と興栄ホーム(早良区)の倒産で地元関連先は大きな痛手を被った。実需企業の倒産では大口債権者が続出する。億単位の焦げ付きも珍しくなく、5,000万円以上の債権者も珍しくなかった。だから連鎖倒産が増加した。となると、大蔵住宅・興栄ホームに直接取引がなくても連鎖倒産が発生した。こうなると取引先は、取引先の与信において疑心暗鬼になっていった。

服毒死を選んだ坂本社長は神経過敏な人

倒産 イメージ    大蔵住宅の坂本社長は島原出身で、地元建売業界の牽引役であった。派手な中洲遊びが有名であったが、噂とはまったく違う経営者であった。というのも当時、筆者に朝7時前に電話をかけてくるのは坂本社長と第二地銀の福岡支店長であったからだ。朝、出社して電話をかけてくる人が中洲で24時過ぎまで飲み明かすことはない。「この電話は坂本社長だな」と感じ取ると、どういう探りをしてくるのかと頭をフル回転して待ち構えた。

 興栄ホームが91年11月に会社更生法を申請して3日後であったか、坂本社長は「花田君(興栄ホーム社長)は苦しかっただろうな。あんな努力家の経営者ですら潰れてしまう世の中だ。この業界は大変な事態に陥っている」と電話口で泣いているのである。その言葉から「これは大事なことになったな。大蔵住宅も危ないのではないか」と、一瞬にして筆者の危機感が高まってきたのである。

 興栄ホームの花田社長は大蔵住宅に勤務していたのである。営業力のある同氏はとんとん拍子で出世し、独立したという経歴の持ち主である。坂本氏がいつから花田氏を恨み出したかは記憶をたどっても不明だ。今から記述する話は坂本社長から5回聞いた。「ある晩、気になって会社へ戻った。そこで花田君は我が社の顧客と見込み客のリストをコピーしていたのだ。だから彼は顧客リストを盗んで独立したのだ」と罵倒し続けた。恨む気持ちはよくわかる。

資金繰りの圧迫

 花田氏に対する「恨み骨髄」を筆者に暴露しながらも、一面では自社から巣立っていた人材に対して可愛さの念ももっていたのであろう。92年当時の売上規模では興栄ホームが大蔵住宅をはるかにしのいでいた。涙を流すという枠を超えて号泣していた坂本社長の近未来を「危うい」と見た筆者は本格的に取材に着手した。「坂本さんにはお世話になったから6,000万円限度で取引する」と豪語していたサッシ会社の社長に電話した。すると「コダマさん、半年前に支払い条件変更の打診があったのさ。『これは危ない』と思って取引を絞ったよ。現在、未払い債権は3,000万円を切ったから仕方がないか。花田氏をあれだけボロカスに言っていたのだが、その人に同情するというのは懐が火の車の証拠であろう」と淡々と語っていた。意外と冷静な判断をするものだ。

 同じ島原出身で篤い関係であった後輩のその人は、福岡では1、2を争う建材商社の経営者である。一時は取引総額1億円を超えていたこともあったので、こちらも非常に気がかりであった。「確かに1億円を超える与信枠を設定していた。だが、この1年間、販売が鈍くなってきていたようだから取引を絞った。現在、2.500万円残っているかな」と答えてくれた。だが、こちらとしては、まだ深堀りが足りない。

 「物好きな同業者が売り込みをかけてきたのであろう」と問い詰めると、「確かに同業者は1社いるよ」とニコニコしている。その業者には億に近い債権があったようである。その業者は、この不良債権の大打撃と時代への対応ができずに、7年後に倒産してしまった。坂本社長の服毒自殺は92年2月のことであった。そして倒産となった。

気配りの花田社長

 熊本県天草市出身の花田社長は、故郷に莫大な義援金を納めた実績がある、業界きっての「気配りの人」と称賛されていたのだが、実体は複数の住宅ローン仕込みが発覚しての倒産であった。バブルが弾けて一転して「この会社と取引していいのか」という猜疑心を抱きながら「暗闇の商取引時代」へと転落していった。

(つづく)

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